透明な記憶

制作者: ケンヂ 文芸
小説設定: | 連続投稿: | 投稿権限: 全員

概要

第1話 記憶の引き出し
ケンヂ
2025年10月24日 12:37
妻が死んでから、もう二年が経つ。

俺は今日も、仕事から帰ると真っ先にリビングのソファに座り、こめかみに小さなデバイスを当てる。ヘッドセットみたいなやつだ。スイッチを入れると、目の前に半透明のディスプレイが浮かび上がる。

『記憶再生システム起動中……』
画面にそう表示されて、数秒後、俺の視界が切り替わる。
そこは三年前の春、桜が満開だった代々木公園だ。

「ねえ、あなた。写真撮ってー」
妻の声が聞こえる。振り向くと、彼女が笑っている。ピンクのカーディガンを着て、少し照れくさそうに手を振っている。あの日と同じように。
これは俺の記憶だ。正確には、俺の脳内に保存されていた記憶データを、メモリーバンクのサーバーにアップロードしたものだ。
今の時代、記憶は「保存」できる。劣化もしない。いつでも、何度でも、あの日に戻れる。
俺は毎日、この記憶を再生する。妻と過ごした日々を、繰り返し繰り返し体験する。そうしないと、彼女の顔を忘れてしまいそうで怖いから。

「ありがとう。きれいに撮れた?」
彼女が俺のスマホを覗き込んでくる。シャンプーの匂いがする。いや、これは記憶の中の匂いだ。脳が勝手に補完してるんだろう。でも、それでもいい。
俺は彼女の笑顔を見つめる。
でも、今日は何か違和感があった。

妻の後ろ、桜の木の下に、見覚えのない男が立っていた。
いや、待てよ。この記憶、何度も再生してるけど、こんな人いたっけ?
男はこっちを見ている。いや、正確には妻を見ている。その目は、どこか切なそうで――

「あなた? どうしたの?」
妻が不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「いや、なんでもない」
俺はそう答えて、記憶再生を終了させた。
リビングのソファに座る自分に戻る。こめかみのデバイスを外して、しばらくぼんやりと天井を見つめた。
気のせいだろうか。
でも、あの男は確かにいた。俺の記憶の中に。
妻を見つめていた、あの男は誰だ?
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