金銀の縁 〜信一郎再起譚〜
制作者:
冬至梅
小説設定:
|
連続投稿: 不可
|
投稿権限:
全員
|
完結数: 30話で完結
概要
江戸・日本橋。
豪商『仙石屋』の主・久兵衛は、不正の汚名を着せられ、獄中で謎の死を遂げた。
店を叔父・次郎兵衛に乗っ取られ、名誉と居場所を失った兄妹の行末やいかに。
◆信一郎:主人公。仙石屋の長男
◆美:信一郎の妹
◆十平次:信一郎の相棒。上方出身の元漁師。
◆仙石屋久兵衛:信一郎と美の父。故人
◆次郎兵衛:信一郎と美の叔父
豪商『仙石屋』の主・久兵衛は、不正の汚名を着せられ、獄中で謎の死を遂げた。
店を叔父・次郎兵衛に乗っ取られ、名誉と居場所を失った兄妹の行末やいかに。
◆信一郎:主人公。仙石屋の長男
◆美:信一郎の妹
◆十平次:信一郎の相棒。上方出身の元漁師。
◆仙石屋久兵衛:信一郎と美の父。故人
◆次郎兵衛:信一郎と美の叔父
安永二年の晩冬、朝の市が引けきらぬ頃、日本橋の通りを二人の男が駆け抜けていく。人々は怪訝な顔でその背を見送った。
一人は背丈ほどの荷を背負い慣れた体つきの若者で、名を十平次という。もう一人はそれより幾分痩せているが、目の奥に強い光を宿した男。信一郎――かつて日本橋の豪商、仙石屋久兵衛の跡取り息子だった。
通りの先、ひときわ大きな店構えの前に、喪服を着た若い娘が立っていた。板看板には「仙石屋」と太く記されている。
娘は駆け寄ってくる男の姿を見つけた途端、息を呑み、声を震わせた。
「……お兄ちゃん……!」
信一郎は足を止めた。目の前に立つ妹・美は、かつて別れた頃よりも幾分大人びている。だが、その瞳の奥にあるものは変わらないままだった。
「文、読んでくれたのね……。けど……戻ってきてくれるなんて、思ってなかった……」
美はそう言うと、堪えていたものが決壊したように涙をこぼした。信一郎はしばし言葉を失い、やがて低く問うた。
「……親父は……本当に、獄で死んだのか」
美は一瞬唇を噛みしめ、それから小さく、しかし確かに頷いた。
「奉行所から知らせがあったわ。病だって……そう言われた。でも……」
それ以上、美は言葉を続けなかった。信一郎もまた、それ以上を聞くことはできなかった。
その様子を少し離れて見ていた十平次が、ぽつりと声を上げる。
「……すごい店やな。ジブン、こないに金持ちやったんか。なんでワイなんぞと一緒にイワシ取って、ボロ屋で寝とったんや?」
信一郎は答えなかった。ただ、仙石屋の暖簾を見つめている。その視線は懐かしさよりも、どこか痛みを帯びていた。
美は十平次に視線を移し、静かに言った。
「あなた……お兄ちゃんから、仙石屋のこと聞いてないの?……話したいことは山ほどあるけど、後にするわね。もうすぐ……お父様のお葬式が始まるから……」
そう言って、美は二人を店の中へと招き入れた。
***
店内には鰹節や煮干の香りが満ち、壁際には蝦夷地産の昆布や干鯛が整然と積まれている。だが、その場の空気は重く、集まった乾物屋仲間たちの視線はどこか冷ややかだった。
美は信一郎の袖をそっと引き、声を潜める。
「……乾物屋仲間の旦那様方がね、次郎兵衛叔父さまを名代に推してるの。あの人、お父様が亡くなったのをいいことに、全部乗っ取るつもりよ」
その名を聞いた瞬間、信一郎の胸に嫌な記憶が蘇る。と、その時、広間の奥から鋭い視線が突き刺さった。
次郎兵衛。久兵衛の弟にして、仙石屋の内情をよく知る男。彼は信一郎と美を見下ろすとと、口の端を歪めた。
「……放蕩息子が、今更戻ってきやがったか」
次郎兵衛は二人を忌々しげに見つめた。
「てめえらにできることなんざ、せいぜい兄貴が借りてた金を返すことぐらいだ。店のことには金輪際、口出しするな」
その言葉に、十平次が一歩前へ出る。
「死神は連れてく相手、間違えたみたいやな」
場が一瞬、凍りついた。次郎兵衛は眉を吊り上げ、十平次を睨み返す。
「誰だって悪徳商人は好かねえ。……そのガキどもも同じだ。とっとと日本橋から出ていった方が身のためだぜ」
そう吐き捨てると、次郎兵衛は背を向けた。
葬儀の支度が進む中、美は再び信一郎に囁いた。
「……お兄ちゃん。実は、新しい店を始められるだけのお金は残ってるの。深川、芝、浅草……日本橋の外でなら……。お父様の恩を忘れてない人も、まだいるわ」
信一郎は静かに息を吐いた。仙石屋の暖簾の向こうで、金と銀、恩と怨が絡み合っている。
これは終わりではない。始まりである。
一人は背丈ほどの荷を背負い慣れた体つきの若者で、名を十平次という。もう一人はそれより幾分痩せているが、目の奥に強い光を宿した男。信一郎――かつて日本橋の豪商、仙石屋久兵衛の跡取り息子だった。
通りの先、ひときわ大きな店構えの前に、喪服を着た若い娘が立っていた。板看板には「仙石屋」と太く記されている。
娘は駆け寄ってくる男の姿を見つけた途端、息を呑み、声を震わせた。
「……お兄ちゃん……!」
信一郎は足を止めた。目の前に立つ妹・美は、かつて別れた頃よりも幾分大人びている。だが、その瞳の奥にあるものは変わらないままだった。
「文、読んでくれたのね……。けど……戻ってきてくれるなんて、思ってなかった……」
美はそう言うと、堪えていたものが決壊したように涙をこぼした。信一郎はしばし言葉を失い、やがて低く問うた。
「……親父は……本当に、獄で死んだのか」
美は一瞬唇を噛みしめ、それから小さく、しかし確かに頷いた。
「奉行所から知らせがあったわ。病だって……そう言われた。でも……」
それ以上、美は言葉を続けなかった。信一郎もまた、それ以上を聞くことはできなかった。
その様子を少し離れて見ていた十平次が、ぽつりと声を上げる。
「……すごい店やな。ジブン、こないに金持ちやったんか。なんでワイなんぞと一緒にイワシ取って、ボロ屋で寝とったんや?」
信一郎は答えなかった。ただ、仙石屋の暖簾を見つめている。その視線は懐かしさよりも、どこか痛みを帯びていた。
美は十平次に視線を移し、静かに言った。
「あなた……お兄ちゃんから、仙石屋のこと聞いてないの?……話したいことは山ほどあるけど、後にするわね。もうすぐ……お父様のお葬式が始まるから……」
そう言って、美は二人を店の中へと招き入れた。
***
店内には鰹節や煮干の香りが満ち、壁際には蝦夷地産の昆布や干鯛が整然と積まれている。だが、その場の空気は重く、集まった乾物屋仲間たちの視線はどこか冷ややかだった。
美は信一郎の袖をそっと引き、声を潜める。
「……乾物屋仲間の旦那様方がね、次郎兵衛叔父さまを名代に推してるの。あの人、お父様が亡くなったのをいいことに、全部乗っ取るつもりよ」
その名を聞いた瞬間、信一郎の胸に嫌な記憶が蘇る。と、その時、広間の奥から鋭い視線が突き刺さった。
次郎兵衛。久兵衛の弟にして、仙石屋の内情をよく知る男。彼は信一郎と美を見下ろすとと、口の端を歪めた。
「……放蕩息子が、今更戻ってきやがったか」
次郎兵衛は二人を忌々しげに見つめた。
「てめえらにできることなんざ、せいぜい兄貴が借りてた金を返すことぐらいだ。店のことには金輪際、口出しするな」
その言葉に、十平次が一歩前へ出る。
「死神は連れてく相手、間違えたみたいやな」
場が一瞬、凍りついた。次郎兵衛は眉を吊り上げ、十平次を睨み返す。
「誰だって悪徳商人は好かねえ。……そのガキどもも同じだ。とっとと日本橋から出ていった方が身のためだぜ」
そう吐き捨てると、次郎兵衛は背を向けた。
葬儀の支度が進む中、美は再び信一郎に囁いた。
「……お兄ちゃん。実は、新しい店を始められるだけのお金は残ってるの。深川、芝、浅草……日本橋の外でなら……。お父様の恩を忘れてない人も、まだいるわ」
信一郎は静かに息を吐いた。仙石屋の暖簾の向こうで、金と銀、恩と怨が絡み合っている。
これは終わりではない。始まりである。
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