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雨のち、きみ

制作者: 迦楼羅
第1話 雨の日のコンビニで
投稿者: 迦楼羅
その日、私は最悪の気分だった。

朝から降り続く雨。傘を持ってこなかったせいで、駅からの帰り道でびしょ濡れ。おまけにスマホの充電は3%。バイト先の先輩には「もうちょっと気が利くようになってね」なんて嫌味を言われるし、もう何もかもがダメな一日だった。

コンビニの自動ドアをくぐると、エアコンの冷たい風が濡れた肌に突き刺さる。

「さむっ……」

思わず声が出た。

とりあえず温かいものが欲しくて、肉まんのショーケースに向かう。残り一個。よかった、まだある。

「すみません、肉まんひとつ──」

「肉まんください」

声が重なった。

隣を見ると、同じくびしょ濡れの男の人が立っていた。

黒い髪から雫がぽたぽた落ちてる。背が高くて、なんか……ちょっとだけ、かっこいい。年は私より少し上かな。大学生くらい?

「あ」

「あ」

二人して固まる。

店員のおばちゃんが困った顔で私たちを見比べた。

「……ラスト一個なんだけど、どうする?」

沈黙。

気まずい。

私はこういう時、絶対に譲ってしまうタイプだ。だって揉めるの面倒だし。

「……どうぞ」

そう言おうとした瞬間、彼が口を開いた。

「じゃあ、半分こしません?」

「……は?」

「半分こ。俺が買うから、半分あげます。その代わり」

彼はショーケースの横にある小さなイートインスペースを指差した。

「ちょっとだけ話し相手になってくれませんか。俺も今日、最悪な一日だったんで」

何言ってるんだろう、この人。

知らない人とコンビニで肉まん半分こって、どういう状況?

でも。

なんでだろう。

その困ったような笑顔が、少しだけ、私の冷えた心をあたためた気がした。

「……いいですけど。変な人じゃないですよね?」

「たぶん」

「たぶんって何」

彼が笑った。雨の音がやけに優しく聞こえた。

これが、私と彼の──名前も知らない男の人との、最初の出会いだった。
第2話 肉まんと、嘘と、本当と
投稿者: あさり
イートインの狭い席に向かい合って座る。

テーブルの上には、半分に割られた肉まん。湯気がふわりと立ち上る。

「……で、何があったんですか」

私が聞くと、彼は肉まんを一口かじってから言った。

「彼女に振られた」

「え」

「三年付き合って、今日、振られた」

あまりにもあっさり言うから、一瞬冗談かと思った。

「……それは、その、大変でしたね」

「うん。まあ、予感はあったんだけど」

彼は窓の外を見た。雨はまだ降り続けている。

「『あなたといると、息が詰まる』って言われた」

「……」

「俺、たぶん重いんだよね。好きになると、全部知りたくなっちゃうタイプで」

知らない人の恋バナを聞かされている。なんだこの状況。

でも、不思議と嫌じゃなかった。

「……私は今日、バイト先の先輩に怒られました」

気づいたら、私も話していた。

「気が利かないって。でも私なりに頑張ってたんですよ。頑張ってたのに」

「うん」

「……それだけなんですけど」

「いや、十分最悪じゃん」

彼が笑った。さっきとは違う、もう少しやわらかい笑い方。

「なんか、俺の話より重くない?」

「いや絶対あなたのほうが重いでしょ。三年ですよ?」

「でも俺は明日には立ち直ってるかも」

「嘘でしょ」

「嘘かも」

なんだそれ。

おかしくて、つい笑ってしまった。

彼も笑った。

雨音だけが静かに響く店内で、二人して肩を震わせて笑った。

「……あ、俺、ひいらぎっていいます。柊しん

「……雨宮あまみやりんです」

「雨宮さんか。雨の日に会ったから覚えやすいな」

「それ、口説き文句のつもりですか」

「違うって」

彼──柊さんは、また困ったように笑った。

「じゃあ、雨宮さん。また会えたら」

「また会えたら?」

「……そん時は、ちゃんと一個ずつ買おう」

「当たり前でしょ」

店を出ると、雨は少しだけ弱くなっていた。

振り返らなかった。でも、なぜか足取りは軽かった。

最悪の一日は、少しだけ、最悪じゃなくなっていた。
第3話 二つの肉まん
投稿者: さんぽ
それから三日後。

私は、あの日と同じコンビニの前に立っていた。
理由は単純で、帰り道だから。
それ以上でも、それ以下でもない……はずだった。

雨は降っていない。
なのに、なんとなく足が止まる。

(……いないよね)

自分でそう思って、少し可笑しくなる。
名前を知っただけの、たった一度会った人。
連絡先も聞いていないし、聞かれてもいない。

なのに。

自動ドアが開く音がして、条件反射みたいに顔を上げてしまった。

「……あ」

聞き覚えのある声。
柊さんが、そこにいた。

今日は濡れていない。
黒い髪もきちんと整っていて、ほとんど時間はたっていないのに、あの日より少しだけ大人に見えた。

「雨宮さん」

ちゃんと、名前を呼ばれた。
それだけで、胸の奥が少しだけ騒がしくなる。

「また会えましたね」

「……本当に」

二人して、なんだか気まずく笑う。

「今日は、肉まんありますよ」

彼がショーケースを指差す。
中には、ちゃんと二個並んでいた。

「……一個ずつ、ですね」

「もちろん」

レジを済ませて、またイートイン。
今度は半分こじゃない。
なのに、距離は前より近い気がした。

「彼女の件は?」

私が聞くと、柊さんは少し考えてから答えた。

「まだ、ちょっとだけ、しんどいです」

「正直ですね」

「雨宮さんの前だと、格好つける理由がなくて」

それはずるい言い方だと思う。

「……私は、先輩にまた怒られました」

「うわ」

「でも今回は、ちゃんと言い返しました」

「それは進歩じゃん」

「ですよね」

肉まんを一口かじる。
湯気が、冬の空気に溶けていく。

沈黙が落ちる。
でも、嫌じゃない沈黙。

「ねえ、雨宮さん」

「はい」

「……また最悪な日があったら、ここ来ません?」

胸が、どくんと鳴った。

「偶然会えたら、また話す。会えなかったら、それまで」

「……ずるいですね、それ」

「振られた男なりの、慎重さです」

私は少し考えてから、うなずいた。

「じゃあ、私も来ます」

「最悪な日?」

「……ちょっとだけ、良くなりたい日に」

柊さんが、静かに笑った。

外に出ると、空は澄んでいた。
雨上がりの匂いがする。

名前を知って、声を知って、
それでもまだ、何者でもない二人。

でもたぶん、これは始まりだ。

肉まん一個分くらいの、
あたたかくて、ささやかな。
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