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奇天烈文房店。

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概要

第2話 書かれているからですよ
さんぽ
2025年12月31日 12:33 | 36
声に導かれるように、私は一歩、二歩と店内へ足を踏み入れた。
 扉は閉めたはずなのに、背後から雨音は聞こえない。代わりに、紙とインクが混ざったような、懐かしく乾いた匂いが鼻をくすぐった。

「……あの、営業中、ですか」

 自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。
 返事はすぐにあった。

「ええ。雨の日だけ、ですけどね」

 棚の影から現れたのは、腰の曲がった老婆だった。白髪はきれいにまとめられ、古い割烹着を身に着けている。どこにでもいそうなのに、どこにもいないような、不思議な存在感だった。

「いらっしゃい。傘、お預かりしましょうか」

 差し出された手に、反射的に傘を渡してしまう。
 老婆は傘を受け取ると、店の隅に立てかけた。

「……この店、昔ここにありましたよね」

 私がそう言うと、老婆は少しだけ目を細めた。

「ええ。ありましたよ。なくなったことになっていますけど」

「……潰れた、はずです」

「そういうことになっていますね」

 否定もしない。肯定もしない。
 まるで、現実の扱い方を知り尽くしている人の言葉だった。

 店内を見回す。外から覗いた時よりも、棚が増えている気がする。奥行きも、明らかに広い。
 古い大学ノート、表紙に名前の書かれていない日記帳、見覚えのない規格の原稿用紙。どれも「使われた痕跡」があるのに、誰のものかは分からない。

「ここ、何の店なんですか」

「文房店ですよ」

 老婆は当たり前のように言った。

「書くためのものを売る店です。忘れられた人のための」

 胸の奥が、わずかにざわついた。

「……忘れられた人?」

「ええ。書かなかった人。書けなかった人。書いたのに、残らなかった人」

 老婆は一冊のノートを取り、私の前に置いた。
 表紙は真っ黒で、何も書かれていない。

「よろしければ、見ていきますか」

 私は頷いた。断る理由が見つからなかった。

 ノートを開く。
 そこには、見覚えのない文字が並んでいた。日記のようでもあり、記録のようでもある。だが、読み進めるうちに、背中に冷たいものが走った。

「……これ、うちの近所です」

「でしょうね」

 書かれていたのは、昨日の出来事だった。
 雨の日。転んだ人。信号の故障。閉店したはずの店。
 ――私が、この路地に足を踏み入れるより前の出来事まで、正確に。

「これを書いた人は……」

「さあ」

 老婆は微笑んだ。

「覚えている人がいないので」

 その瞬間、頭の中で何かが引っかかった。

「……でも、私、ここに来たの、今日が初めてで」

「そうですね」

「なのに、どうして、私のことが――」

「書かれているからですよ」

 老婆は、まるで当然のように言った。

「ここでは、起きたことは書かれ、書かれたことは、起きます」

 言葉の意味を咀嚼する前に、足元がわずかに揺れた気がした。
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第1話 奇天烈文房店。 澪月かんな。 0 35
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第2話 雨宿りと、懐かしい匂い 蒼月(そうげつ) 0 36
・「あ……、すみません。あまりに酷い降りだったので」 僕は濡れた傘をすぼめ、申し訳...
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・「……正直に言うと、自分でも分からないんです」 そう答えると、老婆は少しだけ嬉し...
第2話 書かれているからですよ さんぽ 0 37
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