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社畜だった俺が異世界で温泉宿を始めたら、なぜか女神と魔王が常連客になりました

制作者: Zelt
第1話 異世界温泉宿開業記
投稿者: Zelt
ブラック企業での残業が、今日も終わらない。
深夜零時を過ぎ、終電も逃したオフィスに、俺一人。
エナジードリンクの空き缶が三本。背筋を伸ばした瞬間、ビキッと腰に痛みが走った。

「……もう、無理だな」

気づけば、手の中のマウスを握ったまま意識が遠のいていった。



目を覚ますと、そこは湯けむりに包まれた岩場の上だった。
湯の香り、耳に響くせせらぎ、そして心地よい風。
見渡す限りの森と、硫黄の匂い。

「おいおい、夢か? ……それとも、死んだ?」

「おめでとうございます、転生です」

声の主に目を向けると、白いワンピースをまとった金髪の女性が立っていた。背には小さな羽。

「私は温泉の女神、ユノ。あなた、よほど疲れていたのね」

「温泉の……女神?」

「そう。あなたにはこの世界で“癒し”を広める使命があります」

女神は微笑みながら指を鳴らす。
すると目の前に、木造の立派な建物が出現した。湯気が立ちのぼる——まぎれもない温泉宿。

「ここを、あなたの宿にします。癒しの宿《ゆのや》としてね」

「……いや、ちょっと待って。俺、経営とかしたこと——」

「大丈夫、やるしかありません♡」

問答無用だった。



数日後。俺は見よう見まねで宿を整え、ようやく一息ついた。
だが、最初の客が現れた瞬間、俺は自分の運命を呪うことになる。

「ふぅ……よくぞ見つけたわね、この隠れ湯」

現れたのは、漆黒のローブをまとった美女。角が生えている。

「ま、魔王……?」

「そう呼ばれてるわ。でも今日は休暇。戦も征服も飽きたの。温泉、入っていい?」

俺が言葉を失っていると、もう一人、輝く光が降りてきた。

「まぁ! 魔王さんもいらしてるんですか?」
温泉の女神ユノ……貴様、また人間界で遊んでるのか」

「遊びじゃありませんよ〜♪ この宿、とっても癒されるんですから」

女神と魔王が、俺の目の前で湯加減を語り合う。
俺はただ、呆然とつぶやいた。

「……俺、なんでこんな修羅場にいるんだ?」

異世界で始めたはずの温泉宿が、
なぜか神と魔の社交場になるとは、このときの俺はまだ知らなかった。
第2話 女神はポンコツ?
魔王が帰っていった 。 「ふぅ、悪くない湯だったわ。また来る」 それだけ言い残して、黒い霧と共に消えてしまった。 ……結局、湯銭はもらってない。

俺は脱衣所に一人、取り残された。 いや、一人じゃない。

「ぷはー! 極楽、ごくらく!」

「ユノ!」

俺をこの世界に呼び出した張本人、温泉の女神ユノが 、なぜか一緒に入浴を終えて出てきた。 あの白いワンピース はどこへやら、今は簡素な湯あみ着だ。 湯気で肌がツヤツヤしている。

「あんた! なんで魔王と一緒に入ってるんですか! しかも常連みたいに!」 「え? だって魔王さん、肩こりがひどいって言ってたから。癒しを広めるのが私の使命ですし? 」 ユノは「えっへん」と胸を張る。

「そういうことじゃなくて! 魔王ですよ、魔王! この宿が壊されたらどうするんですか!」 「大丈夫ですよー。あ、そうだ。宿の経営、頑張ってくださいね、店長♪」 「店長!?」

俺は宿《ゆのや》の経営なんて引き受けた覚えはない。 ユノが勝手にこの建物を出現させたんじゃないか。

「ちょっと待て! 俺は経営なんてやったことないぞ! そもそも、この宿 の運営費とか、食材とか、どうなってるんだ!」 「え?」 ユノはきょとん、と首をかしげた。 その金髪がさらりと揺れる。

「運営費? 食材?」 「当たり前だろ! 宿なんだから! 客が泊まる! 飯を食う! 金をもらう! そのサイクルだろ!」 ブラック企業で叩き込まれたのは、そういう「回す」ことだけだ。

「あー……。大丈夫、大丈夫。私、温泉を管理しますから」 「温泉だけかよ!」 「温泉こそが癒しです! 」 「それじゃ宿は回らない!」

この女神 、ダメだ。ポンコツだ。 温泉のことしか頭にない。 俺が頭を抱えていると、ユノは「あ!」と何か閃いた顔をした。

「そうだ! 食べ物ですね! 任せてください!」 ユノがぱちん、と指を鳴らす。 すると、俺の目の前に、湯気の立つ大きなザルが「ドン」と出現した。

中身は……

「……温泉卵」 「はい! 私の神気(しんき)を込めた、特製温泉卵です! これを売れば万事解決!」 「……卵だけ?」 「卵だけです!」

俺は天を仰いだ。 社畜だった俺が 、異世界に来てまでやることは、温泉卵の販売らしい。 しかも、仕入れ先は女神 。原価ゼロ。

「あの……ユノさま 」 「はい?」 「これ……どうやって売るんですか。客、さっきの魔王 しか来なかったぞ」 「うーん……それは、店長が頑張って宣伝してください!」

「丸投げかよ!!」

俺の絶叫が、湯けむりの中に消えていく。 癒しの宿《ゆのや》 の経営は、前途多難すぎる。
第3話 勇者様ご来店
投稿者: あさり
「丸投げかよ!!」

俺の絶叫は、こだますることもなく湯けむりに吸い込まれて消えた。 目の前には山積みの温泉卵。 そして「じゃ、私、温泉の管理に戻りますね♪」と、さっさと奥(たぶん源泉)に引っ込んでいく女神ユノ。

「……どうしろと」

宣伝? 誰に? この森の中で? 俺は途方に暮れ、その場にしゃがみ込んだ。 社畜時代、無茶ぶりな営業目標を押し付けられた日のことを思い出す。 異世界に来ても、やることは変わらないのか……。

その時だった。

ガサガサッ、と茂みが大きく揺れた。

「……!」

獣か? いや、それにしては金属音がする。 俺が身構えていると、森の中からよろよろと人影が現れた。

「すまない……誰か、いるか……?」

現れたのは、ボロボロの男だった。 ところどころ破損した銀色の鎧。泥と、何かの体液で汚れている。 腰に差した剣は、無残にも根元から折れていた。

(うわぁ……満身創痍じゃねぇか)

男は俺の姿を認めると、ふらつきながら一歩近づいた。

「すまないが、……。少しでいい、休ませてくれ…」

客だ! 魔王以来の、二人目の客! 俺は慌てて駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか! どうぞ、こちらへ!」

「助かる……。俺は、勇者……いや、今はただの敗残兵だ……」

「……はい?」

俺は男の顔を見て、固まった。 勇者? 今、勇者って言ったか?

「魔王軍の四天王に、またしても敗れて……もう、心も体も……」

勇者はそう言うと、俺の肩にもたれかかるようにして意識を失いかけた。

「おい! しっかりしろ!」

俺は必死で勇者を支え、宿の中へ引きずり込む。 (やばい、やばい、やばい!)

頭の中で警報が鳴り響く。 勇者ってことは、魔王の敵だよな!? もし、あの魔王(常連客)がまた「肩こりが〜」とか言ってやってきたらどうなる? この宿、更地になるんじゃないか?

(まずい! 早く帰さねば!)

俺は、意識を取り戻しかけた勇者に、鬼の心で告げた。

「あー……お客さん。すまないけど、ウチ、今ちょっとお湯の調子が悪くて……」

「そんな……。この匂いは、極上の湯だと……俺の鼻が言っている……」

「いや、それがですね、急に冷たくなったり熱くなったりで! とても入れる状態じゃ……」

俺が必死に嘘をついていると、奥からパタパタと足音が聞こえてきた。 最悪のタイミングで、あのポンコツ女神が戻ってきた。

「まぁ! お客様! ひどいお怪我です!」

ユノは勇者の姿を見るなり、目を輝かせた(ように見えた)。

「いけません! そんなお体では! さぁ、すぐに《ゆのや》の癒しを!」

「おい、ユノ! 今、湯の調子が……」

「大丈夫です、店長! 私が神気(しんき)を込めて、最高のコンディションにしておきましたから!」

「(余計なことをォォォ!!)」

ユノはにっこりと微笑み、勇者の腕を取った。 「ささ、脱衣所はこちらです。ゆっくり浸かって、傷を癒してくださいね♪」

「あ……あぁ。すまない、女神さま……?」

勇者は、ユノの神々しい(?)雰囲気と優しさに、すっかり警戒を解いている。 そのまま、ふらふらと湯殿のほうへ消えていった。

「…………」

俺は、ロビー(とも呼べないただの板の間)で一人、胃を押さえた。 頼む。 頼むから、魔王、今日は来るなよ……!
第4話 魔王様ご来店(絶対来ると思ったよ!)
投稿者: Zelt
勇者が湯殿に消えてから、まだ五分も経ってない。

なのに。
なのに!

玄関のほうから、聞きたくなかった「あの声」がした。

「ふぅ……今日も肩が痛いわ。癒されに来たのだけれど——入ってもいいかしら?」

「来たぁぁぁぁぁ!!」

俺は思わず床の上でのたうち回りそうになった。

魔王。よりによって今日。
よりによって、勇者が湯に浸かってる今日!!!!

(終わった……《ゆのや》、今日で爆散する……!)

玄関を見ると、漆黒のローブがゆらりと揺れる。
魔王さまは完全に常連の顔で、靴を脱ぎ始めている。

「ちょ、ちょっと待ってください魔王さま!!
き、今日は……その……臨時休湯で!」

「え? なんでよ?」

魔王さまが美しい眉をひそめる。心なしか大気の温度が下がった気がする。

(やべぇ、機嫌悪くなってる。機嫌悪くすると城ひっくり返すタイプだコレ)

「いや、その……湯が……爆発しそうで……」

「爆発? 温泉が?」

「……はい……」

苦しい。あまりにも苦しい嘘だ。
でも仕方がない! 湯殿には勇者がいるんだ!

魔王が湯に向かったら、絶対鉢合わせする。
鉢合わせしたら、戦争だ。
戦争になったら、俺の宿が消し飛ぶ!!

「へぇ……爆発ねぇ……」

魔王さまは腕を組んで、ジロッと俺を見た。

「……あなた、何か隠してない?」

「な、なにも!」

「ふぅん……」

魔王さまが一歩、宿の中へ踏み出した。

そのとき——

「店長ーっ!
湯の温度、完璧に仕上がりましたよー!」

奥からユノが、ご機嫌に走ってきた。

やめろ!!!
その完璧なお湯の宣言は今だけはダメだ!!!!

「ちょ、ユノ! 今は——」

「あれ? 魔王さんもいらしてるんですか? ちょうどいいタイミングですよ!
今日は特に癒し成分MAXですから!」

「あら、そうなの?」

「(オイィィィィィィ!!)」

俺はもう土下座しそうな勢いで、ユノを睨んだ。
でもユノはにこにこと手を打ち鳴らす。

「ささ! 魔王さん! どうぞどうぞ!」

魔王さまはローブをひらりと翻し、湯殿へ向かおうとする。

(終わった……! 勇者と魔王が同じ湯に……!)

俺は震える指で、最後の手段をとった。

「ま、魔王さまぁぁぁ!!!!」

「なによ、その声は」

「せっかくのご来店ですが……今日は!!
スペシャルマッサージが無料となっております!!」

「……スペシャルマッサージ?」

魔王さまはピタッと止まる。

「ええ、はい! 普通のマッサージの10倍の効果で!肩こりに……すごく、効きます!!
湯よりも! すさまじく!」

「そんなに?」

(頼む……釣られてくれーー!)

「……じゃあ、受けるわ」

(助かったぁぁぁぁ!!)

俺は心の中でガッツポーズした。
ユノはぽかんとしているが関係ない。

「では! こちらの——湯殿とは完全に別の部屋へ!」

「別って……ずいぶん必死ね?」

「ちちち違います!! 気のせいです!!」

◆◆◆

一方そのころ。
湯殿では。

「ふぅ……この湯……すごい……。まるで天国みたいだ……」

勇者は完全にリラックスしていた。
命の危機を感じるほどの快楽に包まれ、目を細めて湯に浸かる。

(まさか二分後に魔王が来てたなんて、このとき彼は知らない——)

◆◆◆

そしてロビーでは。

「店長……あなた、必死すぎでは?」

「うるさい! ユノが余計なことするからだろ!!」

「えぇぇ……私、良いことしたはずなんですけど……」

「良いことじゃねぇ!!!
勇者と魔王が同じ日、同じ時間に来るなんて聞いてねぇよ!!」

「えへへ……偶然ってすごいですね♪」

「笑うな!!!!!」

俺は頭を抱えた。
でも魔王はマッサージで引き留めた。
勇者は湯に浸かってる。
今のところは……ギリギリセーフだ。

「……で、店長」

ユノが俺の耳元でひそひそ言った。

「勇者さん……『また来たい』って言ってましたよ?」

「は?」

「『ここ、常連になりたいな』って」

「…………」

「良かったですね、店長。お客さんが増えますよ♪」

「増えていい客と、増えちゃダメな客がいるんだよ!!!!」

俺の悲鳴は今日も、湯けむりに吸い込まれていった——。
第5話 魔王様の極上エステ
投稿者: あさり
「……遅い」

案内された個室に入るなり、ドスの効いた声が飛んできた。
俺は思わず「ひっ」と短い悲鳴を上げて立ち止まる。

部屋の中央、マッサージ用の寝台の上。
魔王さまはすでにうつ伏せになっていた。
漆黒のローブは脱ぎ捨てられ、なんと上半身は何も着けていない。

(う、嘘だろ……!?)

腰から下にはバスタオルが掛けられているが、その背中は露わになっている。
透き通るような白い肌。
背骨のラインが美しく窪み、そこから腰にかけてのカーブは、芸術品のように滑らかだ。
いや、背中だけじゃなくて、その……横とか……その……。
(エロい!!!)

しかし、その美しい背中の上には、禍々しいオーラが陽炎のように立ち昇っている。
そして頭には、鋭い二本の角。

魔王さまは顔だけをこちらに向けて、ジロリと俺を睨んだ。

「いつまで待たせるの? 私、気が長くないのだけれど」

「す、すみません! タオルの準備に手間取って!」

「ふん……言い訳はいいわ。早くしなさい。
もし満足できなかったら……この宿ごと消し炭にしてあげる」

(ひぇぇぇぇ!! やっぱりそうなるの!?)

俺は震える手で、魔王さまの背中に近づく。
こんな華奢な身体のどこに、国を滅ぼす力があるんだ。
いや、見とれてる場合じゃない。
俺はただの元社畜だぞ? マッサージなんて、肩もみ程度しかやったことない。
これで「満足させろ」なんて、無理ゲーにもほどがある!

(くそっ、ユノのやつ! 適当なこと言いやがって!)

俺がおそるおそる、その白い肩に手を伸ばした、その時だった。

『あ、店長! 言い忘れてました!』

脳内に直接、あのポンコツ女神の声が響いた。
念話か!?

『転生特典のこと、伝えてませんでしたね!
店長にはスキル「癒しの手ヒーリング・ハンド」を付与してあります!
凝ってる場所を触れば、勝手に指が動いて超絶テクニックを繰り出しますから!
それじゃ、頑張って〜♪』

(……はぁ!?なんだその転生特典?普通は最強魔法とかのチートスキルじゃないのか!?)

俺が心の中でツッコミを入れた瞬間、俺の指先が魔王さまの肩に触れた。

ビクッ、と魔王さまの身体が震える。

「ん……っ!?」

その瞬間、俺の両手は俺の意思を無視して動き出した。

「えっ、わ、わわっ!?」

俺の指はまるで生き物のように、魔王さまの肩甲骨の隙間に滑り込む。
硬く凝り固まった筋肉の筋を、的確に、かつ強烈に捉えて揉みほぐしていく。

「あ……っ! そこっ……♡ なによこれ……っ!」

魔王さまの口から、甘い吐息が漏れた。

「ちょ、待っ……ああっ♡ そこはダメっ……強すぎ……いや、イイっ……!」

(す、すげぇ……! なんだこの動き!?)

俺の指は高速でタッピングし、親指はピンポイントでツボを突き刺す。
プロの整体師どころじゃない。これはまさに神業だ。
魔王さまの白い肌が、血行が良くなってほんのりと桜色に染まっていく。

「ううっ……! んあぁっ……♡ 貴様……なかなか……やるじゃない……っ!」

魔王さまはシーツをギュッと握りしめ、快楽に耐えるように身をよじった。
その動きに合わせて、豊かな胸の膨らみがシーツに押し付けられ、形を変えるのが見て取れる。

(目の毒すぎる!!けど手は止まらない!!)

「はげしっ……! ああっ、抜けるっ……魔障が……抜けるぅぅ……っ!」

十分後。

俺の手がようやく止まったとき、そこには完全に骨抜きにされた魔王さまの姿があった。
目はトロンとし、口元はだらしなく緩んでいる。
あの威圧感はどこへやら、今はただの無防備な美女にしか見えない。

「……ふぅ。……信じられないわ」

魔王さまは気だるげに身を起こし、タオルで胸元を隠しながら、潤んだ瞳で俺を見た。

「数百年分の凝りが……消えた……。
あなた、ただの人間じゃないわね?」

「い、いえ! ただの温泉宿の店長です!」

「ふふっ……気に入ったわ。
湯もいいけど、あなたの指も……悪くない」

「また来る。次は……そうね、明日にでも」
「明日!?」
「ええ。楽しみにしてるわ♡」

魔王さまは満足そうに笑うと、黒い霧と共に消えた。

「…………」
俺はその場に崩れ落ちた。
(助かった……でも……明日も来るって……)

玄関のほうから、パタパタと足音が聞こえる。
「勇者さんも『明日も来たい』って言ってましたよ♪」
「…………」
「良かったですね! 常連さんが増えて!」
「増えていい客と、増えちゃダメな客がいるんだよおおおお!!」

俺の絶叫は、今日も湯けむりに消えていった——。
でも俺は気づいてしまったのだ。
これから毎日、勇者と魔王の来店時間を調整する地獄が始まることを……。
第6話 戦乙女、襲来
投稿者: Zelt
「……よし。これで完璧だ」

俺は手帳に書き込んだ『オペレーション・生存戦略』を見つめ、深く頷いた。
数日間の決死の接客を経て、俺は一つの真理にたどり着いたのだ。

勇者は、午前中に。
魔王は、午後に。

つまり、勇者には午前中のみ運営してるといい、魔王には午後から運営してると伝え、営業時間看板も二種類用意して入れ替える!
この完璧なシフト管理こそが、俺がこの異世界で生き残る唯一の道だ。

「ふぅ……」

午前の営業(勇者対応)を無事に終え、俺は縁側で一息ついていた。
横には、入浴後の女神ユノ。
湯上がりの肌が午後の日差しを受けて白く光っている。

「ん〜っ!これこれ!やっぱりお風呂上がりはこれですよねぇ〜」

ユノが幸せそうな顔で頬張っているのは、茶色い皮に包まれたふっくらとした物体。
温泉饅頭だ。
俺が前世の記憶を頼りにレシピを教え、ユノが素材(小麦粉?)を出して作った新作だ。
湯呑みに入った緑茶から、細い湯気が立ち上っている。

「まさか異世界で饅頭と茶をすすることになるとはな……」

俺も一口かじる。
こしあんの甘さが、疲れた脳に染み渡るようだ。平和だ。
風が木々を揺らす音と、遠くで聞こえる鳥の声。
これだよ。俺が求めていたスローライフは。

ふと、気になっていたことを聞いてみる。

「なぁユノ。あんた、魔王とは普通に喋ってるけど……攻撃とかされないのか?一応、女神と魔王って敵対関係だろ?」

「んぐ、んぐ……ぷはっ。あ、お茶おいし」

ユノはのんきにお茶をすすってから、ケラケラと笑った。

「あー、それですか?大丈夫ですよぉ。だって私、攻撃力ゼロですから!」

「……ゼロ?」

「はい!戦闘能力皆無!ただお湯を出すだけ!だから魔王さんも『張り合いがない』って言って、私のことはアウトオブ眼中なんですよ」

「女神としてそれでいいのか……」

「平和が一番です〜。あ、でも……」

ユノは饅頭の最後の一欠片を口に放り込みながら、思い出したように言った。

「ヴァルちゃんたちは、魔王さんと仲悪いからなぁ。顔合わせたら即、戦争ですね」

「……だれだ、そのヴァルちゃんって」

「ヴァルキリーのヴァルちゃんです。私の友達!」

ブッ!!
俺は飲んでいた茶を吹き出しそうになった。

戦乙女ヴァルキリー!?」

その単語は、俺のゲーマー知識を刺激した。
戦乙女。神の軍勢。戦場を駆ける勝利の女神。
だいたいどこのゲームでも、物理攻撃特化の超・武闘派ユニットとして描かれる存在だ。

「……おい待て。そんな物騒な知り合いがいるのか?そいつ、まさかここに来たりしないよな?」

「えー?どうでしょう?温泉好きって言ってましたけど」

「やめろ!フラグを立てるな!そんなのが来たら……」

俺が言いかけた、その時だった。

ヒュンッ!!!

空気を切り裂く鋭い音が響いたかと思うと、上空から「何か」が猛烈な勢いで降ってきた。

ズドォォォォン!!

「うわぁっ!?」

宿の前の地面が爆発したかのように土煙を上げる。
衝撃で、縁側の湯呑みがカタカタと震えた。
土煙が晴れると、そこにはクレーターの中心に立つ一人の凜々しい女性の姿があった。

銀色に輝く重厚な鎧。
背中には、白銀の翼。
そして手には、身の丈を超える巨大な槍。
燃えるような赤い髪をなびかせ、その女性はニカッと笑った。

「よぉーっすユノ!温泉宿ひらいたんだってなー!祝いに来てやったぞ!」

「あ!ヴァルシアちゃん!いらっしゃーい!」

ユノがパタパタと手を振る。
俺はあいた口がふさがらなかった。
嘘だろ。噂をすればなんとやら、にも程がある。

「おうおう、ここが噂の『ゆのや』か!いい硫黄の匂いじゃねぇか!最近、魔族狩りで疲れててよぉ、ひとっ風呂浴びさせてくれや!」

豪快に笑いながら、銀の鎧をガシャガシャ言わせて近づいてくるヴァルシア。
(後から聞いた話だがヴァルキリー一族は名前の頭にみんなヴァルを付けるそうだ)

「魔族狩り……」

その物騒な単語に、俺の顔色がサァッと青ざめる。
待て。
ちょっと待て。

俺は恐る恐る空を見上げた。
太陽は、中天を過ぎて西に傾き始めている。

現在は、午後。
俺の完璧なシフト管理によれば、午後は——

「……魔王がくる時間帯……」

その時、森の奥から、黒い霧がゆらりと近づいてくるのが見えた。

「あら……?なんだか今日は、鼻につく神の臭いがするわね……?」

聞き覚えのある、冷ややかで美しい声。

俺はガクガクと震える膝を押さえ、天を仰いだ。
温泉饅頭の甘い余韻は、一瞬にして絶望の味へと変わっていた。
第7話 魔王様、トトノウ...
投稿者: あさり
「あら…?なんだか今日は、鼻につく神の臭いがするわね…?」

魔王さまが鼻をピクピクさせている。
やばい。めちゃくちゃ勘が鋭い!
俺の背中を嫌な汗が滝のように流れる。今この扉の向こう、湯殿には魔族絶対殺すウーマンこと、戦乙女ヴァルシアが入ってるんだぞ!?

「あ、あはは!それはですね!さっきまで女神のユノがいたからですよ!あいつ、ほら、無駄に神々しいじゃないですか!その残り香です、残り香!」

俺は必死で言い訳をまくしたてた。
実際、ユノもさっきまでいたし、嘘ではない。嘘ではないが…。

「ふぅん。まあいいわ。あの能天気な女神なら害はないし」

魔王さまは興味なさそうに肩をすくめると、スタスタと脱衣所へ向かおうとする。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

俺は両手を前にして立ちふさがった。

「なによ。邪魔なんだけど」

「き、今日は!そう、今日もスペシャルマッサージなんていかがですか!?俺のゴッドハンドで、魔王さまの腰痛も一発解決ですよ!?」

この前はあれだけ気に入ってくれたんだ。これなら食いつくはず!
そう思ったのに、魔王さまは気だるげに首を横に振った。

「今日はいいわ。戦続きで肌が荒れてるから、ゆっくりお湯に浸かりたい気分なの」

「そ、そんなぁ!」

断られた!万事休す!
このままじゃ魔王とヴァルシアが裸の付き合いをしてしまう!そして始まるのは混浴女子会じゃなくて、聖魔大戦だ!

「どいて」
「い、いや、でも!」
「消し炭にされたいの?」

魔王さまの右手に黒い球体が浮かぶ。ヒィッ!
俺は半泣きでその場を逃げ出した。

「ゆ、ユノぉぉぉ!どこだぁぁぁ!」

俺は裏庭へダッシュした。あのポンコツ女神なら、きっとなんか隠し持ってるはずだ!いや、持っててくれ!
すると、宿の裏手の岩陰で、ユノがスコップ片手に泥だらけになっていた。

「あ、店長!奇遇ですねぇ」
「奇遇とか言ってる場合か!中がヤバいことになってるんだよ!ってかお前、そこで何してんだ?」

そこには、石を積み上げて作ったカマクラみたいな小さな小屋があった。
隙間から猛烈な熱気と蒸気が漏れ出している。

「ふふふ、見つかっちゃいました?実は私、こっそり『蒸し風呂』を作ってたんですよ!」
「蒸し風呂…って、サウナか!?」

「そうです!ここの源泉、温度が高すぎて捨ててた分があったじゃないですか。もったいないから、石にかけて蒸気を発生させる部屋を作ってみたんです!名付けて『女神の灼熱部屋』」

ネーミングセンスは最悪だが、これは…使える!
俺は小屋の横を見る。そこには、近くの川から引いた水を溜めた、キンキンに冷えた水桶風呂もあった。

「ユノ、お前…今回ばかりは女神に見えるぞ!」
「え?いつも女神ですよ?」

俺はユノの手を引っ張って、魔王さまの元へ戻った。
ちょうど脱衣所に手をかけようとしていた魔王さまに、俺は叫ぶ。

「魔王さま!お待ちください!実は本日、新装開店のVIPルームが完成したんです!」
「…VIPルーム?」

「はい!ただお湯に浸かるよりも、美肌効果が段違い!魔界のセレブもまだ知らない、究極の入浴法をご案内します!」

「究極?大きく出たわね」

魔王さまは疑り深そうだが、「美肌」というワードにピクリと反応した。
俺はここぞとばかりに畳みかける。

「騙されたと思って!もし効果がなかったら、俺をカエルにでも何にでも変えてください!」
「わかったわ。案内しなさい」

◆◆◆

数十分後。

サウナ小屋の前のベンチで、魔王さまは真っ白なバスタオルにくるまり、呆然と空を見上げていた。

目はうつろで、口元は半開き。
全身から湯気が立ち上り、肌は茹で上がったカニのようにほんのり赤い。

「…なに、これ…」
「いかがですか、魔王さま」

俺がおそるおそる水を差し出すと、魔王さまは震える手で受け取り、一気に飲み干した。

「熱い蒸気で限界まで汗をかいて…その直後に、氷のような冷水に飛び込むなんて…正気の沙汰じゃないと思ったけど…」

魔王さまは深く、深ぁ~く息を吐き出した。

「世界が…回ってる…。私の悩みとか…部下の反乱とか…勇者のこととか…どうでもよくなる…」

「それが『トトノウ』という現象です」

「トトノウ…。これが…」

魔王さまは恍惚の表情で、森の木々を見つめている。
完全にトリップしていた。
サウナと水風呂の温冷交代浴。現代日本が生んだ合法ドラッグとも言える快楽に、異界の王は見事にハマったようだ。

「気に入ったわ…。これ、毎日入りたい…」
「ありがとうございます!!」

俺は心の底からガッツポーズをした。
勝った!これで中のヴァルシアと鉢合わせすることはない!
魔王さまはサウナ、勇者とヴァルシアは温泉。
完全に動線を分けることに成功したんだ!

俺はこの時、天才的な閃きを得ていた。

(そうだ…この調子でサービスを増やせばいいんだ!卓球場を作れば誰かが遊んでる間に風呂を回せるし、カラオケを作れば個室に隔離できる!施設を拡張すればするほど、客同士を会わせずに済む!)

俺の脳裏に、巨大温泉テーマパークへと進化した《ゆのや》のビジョンが浮かぶ。
これなら平和に経営できる!俺の平穏なスローライフは守られるんだ!

「ふふふ…忙しくなるぞ…」

俺は不敵に笑った。
だが、俺は忘れていたのだ。
施設を増やすということは、管理する場所が増えるということ。
そして、人手は俺とポンコツ女神の二人きりだということを。

「店長~、ヴァルシアちゃんが『背中流してくれ』って呼んでますよ~」
「魔王さまが『もう一回サウナ入るから薪をくべろ』って言ってます!」

右から左から飛んでくるタスク。
俺は気づいてしまった。
これ…社畜時代より労働環境が悪化してないか?
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