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毒饅頭事件

制作者: 冬至梅
小説設定: | 連続投稿: | 投稿権限: 全員 | 完結数: 15話で完結

概要

第6話 十五年の沈黙
蒼月(そうげつ)
2026年01月03日 19:53 | 28
梶元之は、都内のビジネスホテルのロビーで刑事たちを待っていた。
窓の外では、十二月の冷たい雨が降り続いている。梶はソファに深く腰掛け、両手を膝の上で組んでいた。その姿勢には、どこか覚悟のようなものが滲んでいた。

「お待たせしました」
氷室警部と坂上刑事が近づくと、梶は静かに立ち上がった。五十代半ばに差しかかった顔には疲労の色があったが、目だけは澄んでいる。
「わざわざご足労いただいて」
「いえ。こちらこそ、急なお願いで」

坂上が名刺を差し出すと、梶は丁寧に受け取り、しばらくそれを見つめていた。
「……三十年ぶりに日本に戻ってきて、まさかこんな形で警察の方とお会いするとは思いませんでした」
その声には、皮肉ではなく、純粋な困惑があった。

ホテルの一室を借り、事情聴取が始まった。
「大藤玲子さんとは、どのようなご関係ですか」
氷室の問いに、梶は少し間を置いてから答えた。
「……友人です。雅芳堂で一緒に働いていた頃からの」
「二年前、玲子さんが渡米された際、あなたを頼ってこられたと聞いています」
「ええ。彼女から連絡があったんです。『日本を離れたい。少しの間、そちらに身を寄せてもいいか』と」

梶の視線が、窓の外の雨に向けられた。
「詳しい事情は聞きませんでした。ただ、声を聞けば分かります。追い詰められているって」
坂上は手帳にペンを走らせながら、梶の横顔を観察していた。言葉を選ぶ間合い、視線の揺れ。嘘をついている様子はない。だが、何かを語りきれずにいる——そんな印象を受けた。

「玲子さんと大藤社長の間に、何があったかご存知ですか」
梶は唇を引き結び、しばらく沈黙した。
「……知っています」
その一言に、室内の空気が変わった。
「話していただけますか」
氷室の声は静かだったが、有無を言わせぬ響きがあった。梶は深く息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「十五年前——中谷源蔵さんが亡くなった時のことです」

「源蔵さんは、心臓の持病がありました。でも、亡くなる直前まで元気だった。少なくとも、私にはそう見えていました」
梶の声は低く、淡々としていた。
「ある日、源蔵さんが倒れたと聞いて、私は病院に駆けつけました。もう意識はなくて……その夜のうちに」
「病死ということですね」
「表向きは」
梶の目が、一瞬だけ鋭くなった。

「玲子さんは、源蔵さんの死に納得していませんでした。亡くなる前日、源蔵さんは大藤さんと二人きりで会っていたんです。何か激しい口論があったらしい」
「口論?」
「内容は分かりません。ただ、源蔵さんは相当興奮していたそうです。普段は温厚な人だったのに」

坂上はペンを止め、氷室と視線を交わした。
「玲子さんは、大藤社長が源蔵さんの死に関係していると?」
梶は首を横に振った。
「確証はありません。でも、彼女の中では——ずっと、その疑念が消えなかったんだと思います」

雨音が、部屋の沈黙を埋めていた。
「源蔵さんが亡くなってから、玲子さんは変わりました。大藤さんとの間にも、目に見えない壁ができていった。私がアメリカに渡ってからも、時々連絡をくれていましたが……どこか、遠い人になっていくような気がしていました」
梶は手のひらを見つめた。
「だから二年前、彼女が来ると聞いた時、正直ほっとしたんです。やっと——あの人から離れられるんだって」

「梶さん。率直にお聞きします」
氷室は身を乗り出した。
「あなたは今回の事件に関与していますか」
梶は顔を上げ、氷室の目をまっすぐに見つめた。
「いいえ。私は何もしていません」
「あなたは製薬会社にお勤めだ。アコニチンの入手は——」
「不可能ではありません」

梶は氷室の言葉を遮った。
「だからこそ、やっていないと申し上げています。私がやったなら、もっと痕跡を消します。製薬会社の人間が毒物を使えば、真っ先に疑われる。そんなことは分かっています」
その声には、静かな怒りが滲んでいた。
「私は玲子さんの味方です。でも、彼女のために人を殺すほど愚かじゃない」
氷室はしばらく梶を見つめ、それから小さく頷いた。
「分かりました。今日のところは、これで」

ホテルを出ると、雨は小降りになっていた。坂上は傘を差しながら、氷室の横顔を窺った。
「……警部。梶さんの話、どう思われますか」
氷室は煙草を取り出しかけて、やめた。
「十五年前の源蔵の死。大藤との口論。玲子の疑念——」

言葉を切り、氷室は濡れたアスファルトを見つめた。
「点が増えたな。だが、まだ線にならない」
「玲子さんに、直接話を聞く必要がありそうですね」
「ああ。だが、その前に——」

氷室は足を止めた。
「中谷よし江に、もう一度会う」
坂上は小さく息を呑んだ。氷室の目には、確信に近い何かが宿っていた。
「彼女は『詳しいことは分からない』と言った。だが、十五年間、父親の店を守ってきた人間が、本当に何も知らないはずがない」
雨上がりの街に、夕暮れの光が差し込み始めていた。
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