読み込み中...

ファントム・オブ・ジ・オペラ

制作者: 冬至梅
小説設定: | 連続投稿: | 投稿権限: 全員 | 完結数: 50話で完結

概要

第5話
冬至梅
2025年12月07日 09:28 | 64
クリスティーヌは、涙が滲む視界のまま階段を駆け降りた。ようやく辿り着いたのは、地下一階の隅に取り残された、今は誰も使わない古い楽屋。扉を閉めた途端、荒い息が狭い空間に満ち、胸の鼓動が痛いほど響いた。

 彼女の心には、先ほどのラウルの鋭い視線が焼きついていた。
 ——嫌な予感はしていたのだ。
 幼馴染のラウルがオペラ座の新しい出資者になると知った瞬間から、胸の奥がそわそわと波立っていた。「音楽の天使」は、誰にも知られてはならない。そう、あの方自身から固く命じられている。けれど、彼との再会でその秘密が脅かされるかもしれないと、彼女は薄々感じていた。

 ラウルを欺いたことが後ろめたい——それは否定できない。
 だが、あの時のラウルは、記憶の中の温かな少年ではなかった。冷たい観察者。まるで他人の仮面をかぶったように、疑いの色を隠そうとしなかった。時が彼を変えてしまったのだろうか。クリスティーヌの心には疑念が芽生えていた。

 その時、不意に、鏡が小さく震えるような気配がした。
 続いて、闇の向こうから囁きが落ちる。

「……クリスティーヌ、クリスティーヌ」

 その声を聞いた瞬間、彼女の身体は弾かれたように震えた。

「天使様……!」

 やはり、すべて見られていたのだろうか。ラウルとの、あの危ういやり取りまで。

「迷える子よ、なぜ怯えている?」

 見えない姿のまま、鏡の奥から優しく、それでいてどこか冷たい響きが伝わってくる。

「わたし……その、ラウルが……」

 クリスティーヌは隠し立てをやめ、正直に胸の内を吐き出した。息は震え、視線は床に沈む。

「案ずるな、クリスティーヌ」

 声は低く、甘く、しかし決して逆らえない力を帯びていた。

「地上の人間に私を知ることはできぬ。私と私の音楽は、君だけのものだ」

 鏡の向こうの気配が、彼女を包み込むように強まる。

「いいかね、地上の苦しみや楽しみなど、究極の音楽の前には無意味だ。君はそのようなものに心奪われてはならない。私の音楽を……私だけを愛さなければならないのだ! それが、君がこの私に報いる唯一の道だと思って……」

 クリスティーヌは、胸の奥が熱く締めつけられるのを感じた。それは恐れと安堵と、甘い陶酔が混じり合った感覚だった。

「……はい、天使様。これまでのご恩に、必ず応えてみせます……」

「そう……それでいい……」

 囁きは満足げに沈み、やがて再び深い静寂を振るわせた。

「さあ、レッスンを始めよう。告知通り、今夜は君の翼がどれほどのものになったか試させてもらう」

 その瞬間、鏡の面が、まるで水面のように揺らいだ。
この小説をシェア
このパートからの分岐 (1)
支配人のオフィス

翌朝、玄関ホールの大理石には灰色の朝靄がうっすらと纏わりついていた。アマンド・モンチャミンとファーミ...

冬至梅 冬至梅
12/09 15:17
全階層の表示(8件)
第1話 プロローグ 冬至梅 0 73
・***  1880年、冬の気配が濃く垂れ込めるパリの明朝、重々しい馬車がガルニエ宮...
第2話 亡霊からの挨拶 蒼月(そうげつ) 1 74
・「馬鹿げている!」  新支配人リチャードは手紙を握りつぶし、相棒のモンチャミン...
第3話 エンジェル・オブ・ミュージック 冬至梅 0 63
・同じ頃、支配人室のざわめきなど遠い世界のことのように、コーラスガールの楽屋には静...
第4話 疑惑の眼差し 蒼月(そうげつ) 1 70
・手紙をドレスのポケットの奥深くへ押し込むと、クリスティーヌは音を立てないように楽...
第5話 冬至梅 0 65
・クリスティーヌは、涙が滲む視界のまま階段を駆け降りた。ようやく辿り着いたのは、地...
第6話 支配人のオフィス 冬至梅 0 57
・翌朝、玄関ホールの大理石には灰色の朝靄がうっすらと纏わりついていた。アマンド・モ...
第7話 秘密の代償 蒼月(そうげつ) 1 73
・手紙を手に取ったモンチャミンは、一瞬だけ眉をひそめた後、声に出して読み上げた。...
NEW 第8話 ラウルの葛藤 冬至梅 0 61
・若き子爵は、はっと息を呑むと、影のように身を翻し、階段を駆け下りた。やがてロビー...
コメント
コメントを投稿するにはログインしてください。

ユーザー登録でみんつぐをもっと楽しもう!

お気に入りの小説の更新通知が届く

フォローした作家の新作をすぐに確認

好きな作品にいいね・コメント

感動を作者に直接届けられる

マイページで投稿を管理

自分の作品やいいねを一覧で確認

小説を書いてリレーに参加

新作を始めたり続きを自由に書ける

気になる作家をフォロー

好きな作家の新作をすぐチェック

分岐ツリーで展開を可視化

ストーリーの分岐を一目で確認

他にもみんつぐを楽しく便利に使う機能が充実!

無料で新規登録

すでにアカウントをお持ちの方は