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ファントム・オブ・ジ・オペラ

制作者: 冬至梅
小説設定: | 連続投稿: | 投稿権限: 全員 | 完結数: 50話で完結

概要

第8話 ラウルの葛藤
冬至梅
2025年12月10日 19:21 | 60
若き子爵は、はっと息を呑むと、影のように身を翻し、階段を駆け下りた。やがてロビーに辿り着いたとき、ラウルは中央で立ち止まり、荒い呼吸を押し殺そうと胸に手を当てた。

(エリーズ嬢の死は……病ではなかったのか……)

 心の中の呟きは暗い渦となり、彼の思考を沈めてゆく。

 クリスティーヌの父、グスタフ・ダーエ――名高いヴァイオリニストであり、シャニュイ家の夜会でもしばしばその美しい音色を響かせた人物。
 グスタフが屋敷を訪れるとき、幼いクリスティーヌはいつも傍に寄り添い、
「わたしのお父様はとても素晴らしい演奏家なの。それから……お姉様も、本当に天使みたいに踊るのよ」
と、誇らしげにラウル少年へ語ったものだった。

 やがてエリーズが亡くなった時、クリスティーヌは深い悲しみに沈み、ラウルはただ黙って、その小さな肩を抱きしめていた。あの頃、彼女がどれほど姉を慕い、父を敬っていたか――それを誰より知っているのは、他ならぬラウル自身だった。だからこそ、胸の奥に芽生えた葛藤は重く苦い。

(クリスティーヌは……真実を知らない)

 だが、真相を告げるべきなのか?彼女の心を再び砕くような残酷な事実を、今、告げる資格が自分にあるのか?その答えを見いだせないまま、ラウルの迷いは深まるばかりであった。

 さらに、昨夜の出来事が彼の胸中をざわつかせる。遅い時刻にも関わらず、クリスティーヌは楽屋を出て行き、その手は何かをポケットに隠したままだった。

(一体……彼女の周りで何が起きているんだ……?)

***

 そのころ、オペラ座の奥深く。石壁と古い木材の組み合わさった狭い小部屋――そこが、クリスティーヌ・ダーエの慎ましい自室であった。

 薄明かりの中、若きソプラノは机に置かれた色褪せた写真をそっと両手で包む。
 父、母、そして姉エリーズ。失われた者たちの微笑みが、黄ばんだ紙の中で静かに寄り添っている。

「……お父様、お母様……それから……お姉様……」

 クリスティーヌは瞳を伏せ、語りかける。

「音楽の天使様は……とても優しくしてくださるの。
 わたしの声を導いてくださって……まるで、お父様がそうしてくれたように……」

 少女の声は震えと安らぎのあいだで揺れ、その胸中に宿る秘密の火が静かに灯っていた。

 ――その時だった。

 コン、コン、と控えめながらも緊張を孕んだノックが、薄暗い部屋に響いた。
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