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社畜だった俺が異世界で温泉宿を始めたら、なぜか女神と魔王が常連客になりました

制作者: Zelt
小説設定: | 連続投稿: | 投稿権限: 全員

概要

第9話 女神の逆鱗
Zelt
2025年12月29日 21:30 | 37
最近の《ゆのや》は、少しずつ活気づいてきた。
近くの村からお年寄りや子供連れがやってきて、「いいお湯だねぇ」なんて笑ってくれる。
俺が夢見ていた、穏やかな異世界スローライフがようやく形になりつつあった。

当初、俺が一番心配したのは魔王さまのことだった。
普通の人間が魔王と鉢合わせしたら、どうなるか。
結論から言うと、魔王さまは人間にまるで興味がなかった。
人間どもがどれだけ騒ごうが、虫けらがうろついてるくらいにしか思ってないらしい。

どちらかというと普通の人たちのほうが魔王様を見て腰抜かすので、魔王さま専用のVIP湯船を作った。
掃除の手間は倍になったけれど、魔王さまが「ふぅ……」と満足げに鼻歌を歌っているのを聞くと、これで良かったんだと思える。

そして、もう一つ嬉しい誤算があった。
セレーネさんだ。
「いらっしゃいませぇ……。本日も《ゆのや》へようこそぉ……」
満月の夜、銀色の髪を月光に輝かせながら、セレーネさんが玄関で客を迎える。
その姿は、まさに絵画のような美しさだった。

普段は布団の中で溶けているあの人が、満月前後の三日間だけは別人のように輝くのだ。
「ま、まぶしい……」
「天女様かと思った……」
村から来たお客さんたちが、ぽかんと口を開けて見惚れている。
セレーネさんは基本は真面目で、働ける期間は短いけれど、その分、満月の時期は二十四時間ぶっ通しで働いてくれる。接客は丁寧だし、お客さんへの気配りも細やかだ。

おかげで「満月の夜に《ゆのや》へ行くと、月の女神様に会える」という噂まで広まり始めた。
「看板女神ですねぇ、セレーネちゃん」
ユノが嬉しそうに言う。
セレーネさんは「そんな……私なんてぇ……」と照れながらも、どこか誇らしげだった。


《ゆのや》は、少しずつ軌道に乗り始めていたのだ。

「店長、今日もお饅頭が売れてますよぉ!」
ユノがニコニコしながら、空になったザルを振る。
このまま平和な毎日が続いていく。そう信じていた。

「おらぁおらぁ!邪魔だ、人間どもーー!」

その怒鳴り声が響いたのは、ちょうどお昼どきの忙しい時間だった。
玄関の引き戸が、乱暴に蹴り開けられる。

そこに立っていたのは、二メートルはあろうかという巨大な二足歩行のトカゲ。
鱗に覆われた筋肉質の体に、トゲトゲのついた革鎧を着ている。
リザードマン…まさにRPGゲームなどに出てくる敵キャラだ。

「俺様は魔王軍四天王がひとり、ゲイル様だぁ! ここが噂の隠れ湯か?」

「し、四天王……!?」
背筋が凍った。
魔王軍の四天王といえば、魔王直属の最強幹部だ。
勇者がボロボロになって倒れ込んできた時、「四天王に敗れた」と言っていたのを思い出す。
(やばい、やばい、やばい!)

周りの客たちが悲鳴を上げて逃げ出す。
俺は震える足を押さえながら、なんとか前に出た。

「お、お客様……。他の方の迷惑になりますので、お静かにお願いします……」

「あぁん?人間が俺様に指図すんのか?」
ゲイルは俺の胸ぐらを掴み上げようとした。
そこに、ユノがパタパタと駆け寄ってくる。

「ダメですよ、お客さん!ここは癒しの場所なんですから。ほら、そんなにイライラしてないで、お湯に浸かってください!」

「ケッ!お湯だぁ?さっきから臭いんだよ、この宿は!こんな泥水みたいな湯、俺様の故郷の沼地のほうがマシだぜ!薄汚い女神の出す湯なんて、浴びる価値もねぇ!」

瞬間、空気が凍りついた。
俺の隣にいたユノの肩が、ピクッと跳ねる。

「……今、なんて言いました?」

ユノの声から、いつものふわふわした響きが消えていた。
彼女はゆっくりと顔を上げる。その瞳は、見たこともないほど冷たく、鋭い。

「お湯が……泥水……?価値がない……?」

「そうだと言ってんだよ!こんなゴミ溜め、俺様がぶっ壊して――」

「沸点まで、あと零秒です」

ユノがパチン、と指を鳴らした。
その直後、ゲイルザードの足元から、凄まじい轟音とともに巨大な湯柱が噴き出した。

「ぎゃあああああああ!?熱っ!熱い、熱すぎるぅぅ!!」

それはただの温泉じゃなかった。
空間の裂け目から溢れ出したのは、神気によって限界まで熱せられた、灼熱温泉水。
百度の熱湯が、容赦なくリザードマンの全身を包み込む。

「私の温泉を……馬鹿にする人は、許しません!!」

ユノがさらに手をかざすと、今度は天井からも熱湯の雨が降り注いだ。
逃げ場を失った四天王(自称)は、文字通り茹だったトカゲのようになって、命からがら森の奥へと転げ落ちていった。

「ふぅ……。店長、お掃除道具持ってきてください。床が濡れちゃいました」

いつもの天真爛漫な笑顔に戻って、ユノが小首をかしげる。
でも俺は、床を拭く手の震えがおさまらなかった。

戦闘力ゼロ。
確かにそう言っていた。
でも——あれは戦闘じゃない。
温泉を使った、ただの『お湯かけ』だ。

「ユノ…さん…あれ、百度どころじゃなかったよな……?」
「はい?ちょっとだけ熱めにしました。百二十度くらいかな?」
「沸点超えてるだろ!!」

俺は心に固く誓った。
この女神を、絶対に怒らせてはいけない——と。
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