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その時、〇〇がこう言った

制作者: さんぽ
第1話 世界が終わる三分前
投稿者: さんぽ
世界が終わる三分前、駅前の自販機だけが普通に稼働していた。
赤く光る「つめた〜い」の文字は、空に走る亀裂にも、逆流する雲にも、まるで興味がないらしい。

アスファルトは脈打ち、ビルの影からは得体の知れない何かが覗いている。
人々はすでに避難を終え、残っているのは、遅刻常習犯と、諦めの悪い猫とーー缶コーヒーを握りしめた男だけだった。

男の名は霧島。
元プログラマーで、現・無職。
世界を救う使命も、予言も、選ばれし血筋も、何一つ持っていない。

ただ一つあるのは「ここまで来たら、どうせ碌なことにはならない」という直感だけだった。

空が完全に裂け、
向こう側から「概念そのもの」が滲み出してくる。

猫が鳴いた。
自販機がガタンと音を立てた。
霧島は缶を開け、一口飲み、苦笑した。

そして――その時、霧島はこう言った。
第2話 あれを見ずには終われない
「ONE PIECEの最終回、読みたかったなぁぁぁぁ!!」

その声は、轟音を立てて崩れ落ちるビルの音さえも切り裂いて響いた。
一度口に出してしまったら、もう止まらない。

「ルフィが海賊王になるところを見たかった!コナン君が元の体に戻れるのかも気になってたんだ!俺は……俺はまだ、あの世界の結末を何一つ知らないまま死ぬのかよぉぉ!」

涙目になりながら、子供のように地団駄を踏む霧島。
迫りくる概念の波。

けれど、その情けない背中をじっと見つめる影があった。
瓦礫の山を優雅に越えてきたのは、一人の女性だ。

彼女の名は、冬月マヤ。
この駅ビルの三階に入っていた書店の雇われ店長だ。三十歳、独身。
人生のほとんどを物語の世界に費やしてきた彼女は、避難警報が鳴り響く中、最後まで店に残り、愛する本たちに埃除けのカバーをかけていたせいで逃げ遅れてしまったのだ。

「……ふふ」

マヤは小さく笑った。
その体は埃まみれで、紺色のエプロンは所々が破けている。崩れてきた本棚の下敷きになったのか、引きずっている左足からは、赤い線がアスファルトに点々と続いていた。
痛みはあるはずだ。けれど、彼女の表情は不思議なほど穏やかだった。

彼女は逃げ惑うこともなく、ボロボロのパンプスを気にすることもなく、ただ静かにそこにいた。
霧島の叫びを聞いて、彼女はふわりと微笑むと、手にしたコンビニの袋をガサリと揺らした。

そして――その時、冬月マヤはこう言った。
第3話 確実に二次創作
投稿者: さんぽ
「大丈夫よ――世界が終わる前に、私が全部の最終回を書いてあげる。作者が死んでも、物語は死なないんだから」

霧島は、思わず間抜けな顔で彼女を見た。

「……は?」

冬月マヤは、まるで雨宿りでもするかのように、崩れかけた街灯の下に腰を下ろした。
コンビニ袋から取り出したのは、少し角の折れたノートと、ボールペン一本。

「私ね、書店員なの。売るだけじゃなくて、読むのも、考えるのも、ずっとやってきた」

ペン先を軽く鳴らしながら、彼女は言う。

「結末が来ない物語を何百冊も見送ってきた。そのたびに思ってたのよ。――もし終わらないなら、自分で終わらせればいいじゃない、って」

空が軋み、概念の波がビルの輪郭を溶かし始める。
世界は、確実に終わりへ向かっていた。

「ONEーーーの最終回はね」

マヤはノートを開き、さらりと書き出す。

「財宝が何かじゃなくて、なぜ旅をしたのかに答える話よ」

霧島が息を呑む。
あまりにありきたりだ。

「ーー君は、大人に戻る。でもね――」

ペンが走る。

「それ以上に大事なのは、子供のまま守ったものなの」

言葉が、世界に重さを持ち始めていた。
崩れていた瓦礫がわずかに静止する。
裂けていた空の亀裂が、ほんの一瞬、縫い合わされたように見えた。

「……おい」

霧島の声が震える。

「一体なにが…」

マヤは顔を上げ、少し困ったように笑った。

「物語を信じて生きてきた人間が、最後にできる抵抗は、これだけなの」

概念の波が二人のすぐ背後まで迫る。
マヤは、最後にノートの余白にこう書いた。

――世界は、読まれることで続く。

そして、霧島の方を見て、静かに告げた。

「ねえ、次はあなたの番よ。あなたの人生の最終回、どう終わらせたい?」

その時、霧島はこう言った。
第4話 最後に残るもの
投稿者: クロマル
「俺の……俺の最終回?……そんなの、わかんねぇよ」

霧島は、その言葉を口の中で転がすように繰り返した。

考えたこともなかった。
プログラマーとして働いていた頃は、毎日が締め切りとバグとの戦いで、五年後のことすら考える余裕がなかった。会社を辞めてからは、もっとひどい。明日の食費と、溜まっていく請求書のことで頭がいっぱいで、「人生の最終回」なんて大層なものを想像する暇もなかった。

「……わかんねぇよ」

声が、思ったより小さく出た。

マヤは何も言わなかった。
ただ静かに、ノートを膝の上に置いたまま、霧島の言葉を待っている。

その沈黙が、なぜか心地よかった。
責められているわけでも、急かされているわけでもない。ただ、そこにいてくれる。それだけのことが、こんなにも温かいなんて。

「俺さ」
霧島は、自販機に背中を預けた。冷たい金属の感触が、妙に現実味を与えてくれる。
「38年、生きてきて、何か残したかって言われたら、何もねぇんだよ」

マヤが小さく首を傾げる。

「本当に?」

「本当だよ。結婚もしてない、子供もいない、仕事も続かなかった。親には心配かけっぱなしで、友達とも疎遠になって……」
言葉にすると、余計にみじめだった。
世界が終わる瞬間に、こんな情けない独白をしている自分が滑稽で、霧島は乾いた笑いを漏らした。

「でもね」

マヤの声は、相変わらず穏やかだった。

「私、さっきあなたの叫び声を聞いて、ちょっとだけ元気が出たの」

「……は?」

「だって、世界が終わるっていうのに、漫画の最終回が気になるなんて。すごく人間らしいなって思って」

マヤは、左足の傷を気にする様子もなく、ふわりと笑った。
「物語を愛せる人は、きっと誰かの物語も愛せるのよ」

霧島は、何か言おうとして、言葉が出なかった。
胸の奥で、何かが小さく震えている。

概念の波が、すぐそこまで来ていた。
もう時間がない。

霧島は缶コーヒーの最後の一口を飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。

「……なあ、そのノート、俺にも貸してくれないか」

マヤが目を丸くする。
「書きたいことでも?」
「いや、書けるかわかんねぇけど」

霧島は、生まれて初めて、自分の言葉で何かを残したいと思った。
誰かに届かなくてもいい。世界が終わっても、この一瞬だけは、確かにここにいたって証を。

マヤはノートとペンを差し出しながら、どこか嬉しそうに言った。
「じゃあ、一緒に書きましょう。最後の共作よ」

その時、遠くで猫が鳴いた。
あの、諦めの悪い猫だ。

二人が振り向くと、猫は瓦礫の上にちょこんと座り、じっとこちらを見ている。
その瞳は、まるで何かを訴えているようだった。

そして――その時、猫はこう言った。
第5話 デバッグ作業は猫の手も借りたい
投稿者: ケンヂ
「おい、そこの無職。貴様の人生、デバッグしてやろうか?」

猫は、鳴き声の代わりに完璧な標準語を喋った。
霧島は、持っていた空の缶コーヒーをアスファルトに落とした。乾いた金属音が、静まり返った街に不自然に響く。
「ね、猫が……喋った?」
「驚くポイントがそこか? 空が割れて概念が漏れ出している異常事態に比べれば、猫の一匹や二匹、言語を習得していても不思議ではないだろう」

猫は、面倒くさそうに前足で耳の後ろをかいた。その仕草はどこまでも猫だが、その瞳には知性が宿っている。
冬月マヤは、驚きよりも好奇心が勝ったのか、しゃがみ込んで猫の顔を覗き込んだ。
「あなた、もしかしてこの世界の観測者なの?」
「観測者なんて格好いいもんじゃない。私はただのシステムログ……まあ、この世界の運営が残した『書き残し』のようなものだ」
猫は瓦礫の山を器用に登り、霧島とマヤを見下ろした。

「いいか、人間。この世界は今、深刻な論理エラーを起こしている。物語が結末を失い、意味が消失したことで、宇宙という名のプログラムが強制終了シャットダウンしようとしているんだ」
霧島は、自分が元プログラマーだったことを思い出し、猫の言葉を必死に理解しようとした。
「プログラムが終了……? つまり、この消去の波は、メモリの解放だって言うのか?」
「察しがいいな、無職。だが、さっきの女の『二次創作』のおかげで、面白い例外が発生した。物語を強引に書き換えたことで、システムが一時停止している」

猫は金色の瞳を細め、マヤが持っているノートを指した。
「そこにお前たちの『最終回』を書き込め。それが世界というシステムにとって納得のいくコード……つまり、美しい物語であれば、世界は再起動リブートされる可能性がある」
空の亀裂が、雷鳴のような音を立ててさらに広がった。

霧島はマヤから手渡されたペンを握りしめた。手汗で滑りそうになるが、不思議と足の震えは止まっていた。
「俺が、コード……じゃなくて、物語を書くのか? そんな大層なこと……」
「お前の人生はバグだらけだったかもしれない。だがな、バグがあるからこそ、システムは予想外の進化を遂げるんだ。書け、霧島。お前という物語の、本当の終わりを」
猫はそう言うと、霧島の肩に飛び乗った。ずしりとした重みが、生の実感となって彼を突き動かす。
霧島はノートにペン先を落とした。最初の一文字。それは彼がずっと言いたかった、自分自身への言葉だった。

そして――その時、霧島はこう言った。
第6話 待て
投稿者: さんぽ
「待て」

たった二文字。
だが、その瞬間。

世界が本気で困惑した。

空に走っていた亀裂が、ぎぎ、と不自然な音を立てて停止する。
概念の波は急ブレーキをかけたみたいに前のめりになり、街の時間が半拍、遅れた。

「……は?」

猫が固まった。

「いやいやいや、ちょっと待てはこっちの台詞だ無職!
最終回の一行目が“待て”ってどういう構成だ!
編集会議通らねぇぞ!!」

霧島はペンを走らせながら言い返す。

「だってよ、ずっと誰かに言われ続けてきたんだよ。急げ、決めろ、もう遅いって」

ノートに文字が増えていく。

――待て。

まだ終わってない。確認不足だ。
マヤが息を呑んだ。

「……それ、人生に向けたリトライコマンド……」
「そうだ」

霧島は顔を上げ、笑った。

「俺はずっと、自分を強制終了させる側だった。
でもな――」

ペン先が、紙を強く叩く。

「デバッグ前に電源落とすなって、プログラマーとして一番嫌いなやつなんだよ!!」

《SYSTEM WARNING》
《PROTAGONIST ISSUED SELF-DEBUG COMMAND》

空に、赤い警告ログが滝のように流れ出す。

猫が悲鳴を上げた。

「やめろォォ!!
自己参照型修正は世界線が壊れる!!
それをやると物語が“生き物”になる!!」

「上等だ!」

霧島はノートを掲げた。

「俺の最終回はこれだ!」

そして――震える声でも、逃げずに。

その時、霧島はこう言った。
第7話 朝焼け
投稿者: クロマル
「この物語の続きは、俺が死ぬまで『未完』のままだ!」

霧島が叫んだ言葉は、裂けた空に吸い込まれることもなく、そこにある自販機の無機質な音に混ざって消えていった。
赤い警告ログが雨のように降り注ぐ中、霧島は自分の手がひどく震えていることに気づく。それは恐怖ではなく、何年も忘れていた、何かをやり遂げようとする時の高揚感だった。

「……ふふ、格好いいじゃない」

隣で冬月マヤが、小さく喉を鳴らして笑った。彼女はボロボロのノートを胸に抱きしめ、まるで長年の読書を終えた後のような、満ち足りた目をしている。

「人生を『未完』のままにするなんて。一番贅沢な抵抗ね」

マヤの言葉に、霧島は照れ隠しに空き缶を蹴飛ばした。乾いた音がアスファルトに響き、それが現実の音であることを教えてくれる。

空の亀裂がゆっくりと閉じ始め、代わりに柔らかな光が漏れ出してきた。それは「概念」なんて難しい言葉では言い表せない、ただの朝日だった。 世界が終わるはずだった朝に、新しい日が始まろうとしている。

猫は霧島の肩から飛び降りると、欠伸をして尻尾を振った。

「まあ、及第点だな。美しい物語とまではいかないが、泥臭い執着はシステムの演算を狂わせるには十分だ。さて、メモリの書き換えが始まるぞ」

マヤは少し引きずっている足で、一歩、霧島に歩み寄った。彼女の紺色のエプロンについた土の匂いや、微かな古書の香りが鼻をくすぐる。 霧島はふと思った。もし明日が来るなら、この人と何を話そうか。

「冬月さん。世界が続くなら……俺、あんたの書店の常連になるよ。漫画の続き、入荷したら教えてくれ」

マヤは目を細め、いたずらっぽく笑った。

「あら、うちは予約でいっぱいよ? それに、最終回は自分で書くって決めたんでしょ?」

そんな取り留めのない会話が、今は何よりも温かい。
街の輪郭が、まばゆい白光に包まれていく。すべてが再構成される音。その中で、霧島の耳に聞き慣れない音が届いた。

それは、止まっていたはずの駅の改札機が、軽快な電子音を鳴らした音だった。 向こう側から、誰かが猛スピードで走ってくる。

そして――その時、駆け寄ってきた謎の女子高生はこう言った。
第8話 考察勢
投稿者: さんぽ
「すみませーん! その未完宣言、さっきからトレンド一位なんですけど!!」

息を切らして駆け寄ってきた女子高生は、制服のままスマホを掲げていた。

画面には、霧島の顔写真――ではなく、さっきまで空に流れていた赤いログと、彼の叫び声が切り抜き動画として再生されている。

《#未完の最終回》
《#無職が世界を止めた日》
《#最終回拒否系主人公》

「ちょ、待て待て待て」

霧島は両手を振った。

「なんで拡散されてんだよ!? 世界、今リブート中じゃなかったのか!?」

「してますよ?」

女子高生は即答した。

「でも“完全初期化”じゃなくて、“引き継ぎあり再起動”だったみたいで。あと、さっきから世界観設定がちょいちょい雑になってます」

猫が頭を抱える。

「やっぱりか……! 未完エンドは“続編フラグ”を内包するから、物語耐性の高い個体が流入してきやがった……!」
「物語耐性?」

マヤが首を傾げる。
女子高生はにっ、と笑った。

「はい! 私、考察勢です! この世界、絶対まだ伏線残ってますよね?」

息を切らした女子高生は、ずいっと霧島の目の前にスマホを突き出した。

画面には、空に流れていた赤いログのスクリーンショット、そして霧島の叫び声を文字起こしした謎のまとめサイト。

《未完宣言=強制ループ回避フラグ説》
《猫=管理AI説、ほぼ確定》
《書店の女=読者視点の化身では?》

「……いや待て待て待て」

霧島は頭を押さえた。

「なんで世界が終わりかけた直後に、考察文化だけ復活してんだよ」
「そこが一番不自然ですよね!」

女子高生は目を輝かせる。

「普通、世界が再起動したら記憶リセット入るはずなのに、私たち“気づいた側”だけ残ってるんですよ!」

猫が低く唸った。

「……やはり観測者が増殖している。未完エンドは危険なんだよ」

マヤが霧島を見る。その目には、不安よりも、どこか楽しげな色が宿っていた。

「それじゃあ、伏線回収していきましょうよ」
「そんなもの本当にあるのか?」

訝しむ霧島。
その時、マヤはこう言った。
第9話 伏線は、あなた自身
「――あるわよ、伏線」

マヤは静かに微笑んだ。その笑顔には、長年本を読み続けてきた人間だけが持つ、物語への確信があった。

「どこにだよ」

霧島が周囲を見回す。崩れかけた街並み、再起動の光に包まれていく空、スマホを構える女子高生、そして足元でため息をつく猫。どこにも伏線らしきものは見当たらない。

「ここよ」
マヤは、自分の胸に手を当てた。

「物語の伏線って、最初から用意されてるものじゃないの。登場人物が生きていく中で、後から『あれが伏線だったんだ』って気づくものなのよ」

女子高生が目を丸くする。
「えっ、それってメタ的にはかなり危ない発言じゃ……」

「危なくないわ」
マヤの声は、どこまでも穏やかだった。

「だって、霧島さん。あなた、さっき自分の人生に何も残せなかったって言ったでしょう?」
霧島は黙った。
「でもね」

マヤは一歩、霧島に近づいた。引きずっていた左足が、いつの間にか普通に動いている。世界が書き換わっているのだ、とぼんやり思った。

「あなたの叫び声を聞いて、私は逃げるのをやめたの。あなたが『ONE PIECEの最終回を読みたい』って泣いてるのを見て、ああ、この人も物語を愛してるんだなって」

マヤの目が、少しだけ潤んでいた。
「それって、十分すぎるくらいの伏線じゃない?」

猫が、ふん、と鼻を鳴らした。
「なるほど。感情的接続による因果の再構築か。文学的だが、論理的にも筋は通る」

「ぜんぜん分かんないんですけど!」
女子高生がスマホを振り回す。
「要するに、二人が出会ったこと自体が伏線で、これから回収されるってことですか?」

「そうね」
マヤは頷いた。そして、霧島の顔をまっすぐに見つめた。
「霧島さん。世界が続くなら、あなたはこれからどう生きるの?」

霧島は、言葉に詰まった。
無職で、何も持っていなくて、三十八年間ずっと逃げ続けてきた自分に、これからなんてあるのだろうか。でも――
「……わかんねぇよ」

また同じ言葉が出た。でも、さっきとは違う響きがあった。
「わかんねぇけど」
霧島は、空を見上げた。朝焼けの光が、少しずつ街を照らし始めている。
「少なくとも、明日も本屋に行く理由はできた」

マヤが、ふふ、と笑った。

女子高生がスマホを構え直す。

「えっ、ちょっと待って、これ恋愛フラグですか? ジャンル変わってません?」

猫が深々とため息をついた。
「馬鹿者。これは恋愛ではない。人間が人間と繋がる瞬間を描いているだけだ。……まあ、区別がつかんのも無理はないが」

その時、空の光が一段と強くなった。
世界の再起動が、最終段階に入ろうとしている。

猫は霧島とマヤを交互に見て、静かに告げた。
「最後に、一つだけ選択がある」
「選択?」

「この世界は『未完』のまま続くことになった。だが、それは同時に、終わりが永遠に来ないということでもある。お前たちは、それでいいのか?」

霧島とマヤは顔を見合わせた。
答えは、もう決まっていた。

そして――その時、二人は同時にこう言った。
第10話 未完という名の続き
投稿者: ケンヂ
「「終わらせなくていい」」

二人の声が重なった。
猫が目を見開く。女子高生がスマホを取り落としそうになる。

「……本気か? 終わりのない物語は、地獄だぞ」

猫の声には、どこか切実な響きがあった。

「知ってるよ」

霧島は静かに答えた。
三十八年間、ずっと終わりを怖がって生きてきた。締め切りも、人間関係も、自分の将来も。終わりが来る前に逃げ出すことで、傷つくことを避けてきた。
でも、それは違ったのだ。

「終わりがないから地獄なんじゃない」
マヤが、霧島の言葉を引き継ぐように続けた。
「終わりを決めつけて、続きを諦めることが地獄なのよ」

猫は長い沈黙の後、ふっと息を吐いた。
「……お前たち、本当に面倒くさい生き物だな」
その声には、どこか安堵のような色が滲んでいた。

「いいだろう。世界は『未完』のまま続く。ただし、一つだけ条件がある」
「条件?」
「この物語を、誰かに語り継げ。読まれ続ける限り、世界は存在し続ける。それが、お前たちが選んだ未完の代償だ」

女子高生が勢いよく手を挙げた。
「あっ、それ私できます! 考察スレに投稿すれば一瞬で広まりますよ!」
「……そういうことじゃないんだが」

猫が呆れた声を出したが、もう遅かった。
空の亀裂は完全に閉じ、世界は柔らかな朝の光に包まれていく。

遠くで、電車の発車メロディが聞こえた。
止まっていた時間が、また動き出している。

霧島は、ふと気づいた。
マヤが持っていたノートが、いつの間にか消えている。

「あれ、ノートは?」
「ああ、あれね」
マヤは少し照れくさそうに笑った。
「世界の一部になったみたい。私たちが書いた言葉が、この世界の新しいコードになったのよ」
「じゃあ、俺が書いた『待て』も……」

「ええ。きっと、この世界のどこかで、誰かが立ち止まるたびに、あなたの言葉が響いてるわ」
霧島は、なんだかむず痒いような、でも悪くない気持ちになった。

猫が、ふわりと瓦礫から飛び降りた。
「さて、私の役目は終わりだ。次に世界が壊れそうになったら、また会おう」
「おい、待てよ。お前、名前は?」

猫は振り返り、金色の瞳を細めた。
「名前か。そうだな……『ログ』とでも呼んでくれ。お前たちの物語を記録し続ける者、という意味でな」
そう言い残して、猫は朝もやの中に消えていった。

女子高生はスマホをポケットにしまい、ぺこりと頭を下げた。
「じゃあ私も行きますね! 学校遅刻しちゃうんで! あ、でも今日って何曜日でしたっけ? 世界再起動したから曜日感覚バグってて……」
「知らねぇよ」
霧島が苦笑すると、女子高生はけらけらと笑いながら改札の向こうへ走っていった。

静けさが戻る。
霧島とマヤは、崩れかけた街並みの中で、二人きりになった。
「……なあ、冬月さん」
「マヤでいいわよ。世界を一緒に救った仲なんだから」
「じゃあ、マヤさん」

霧島は、少し緊張しながら言った。
「本屋、いつ開くんだ?」
マヤは、崩れたビルの方を見やった。三階にあったはずの書店は、もう影も形もない。
「さあ、どうかしら。でも、本さえあればどこでも本屋はできるわ」

「……俺、手伝おうか。力仕事くらいなら」
マヤは目を丸くした。それから、花が咲くように笑った。
「あら、無職のままでいいの?」
「良くねぇよ。だから働く」

自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
霧島は空を見上げた。雲一つない、澄んだ青空。あの亀裂があったことが嘘のようだ。
でも、確かにあった。
世界が終わりかけて、自分が叫んで、誰かと出会って、何かが変わった。

それは、ありきたりな物語かもしれない。
でも、自分だけの物語だ。

「なあ、マヤさん」
「なに?」
「俺の人生、まだ序章なのかな」
マヤは少し考えてから、首を横に振った。
「ううん。もう十分、中盤よ。クライマックスはこれから」
「……そっか」

霧島は、ポケットに手を突っ込んだ。空になった缶コーヒーの感触はもうない。代わりに、さっき自販機で買ったもう一本が、まだ冷たいまま残っていた。

「コーヒー、飲むか?」
「いただくわ」
プルタブを開ける音が、静かな朝に響いた。
世界が終わる三分前に始まった物語は、こうして終わらないまま、続いていく。

それは、最終回ではない。
ただの、新しい一日の始まりだ。

缶コーヒーを分け合いながら、二人は崩れた街を歩き出した。
どこへ向かうかは、まだ決まっていない。
でも、それでいい。
未完という名の物語は、いつだって次のページをめくる余白を残している。

そして――その時、世界はこう言った。
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