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朝霧 遥の湯けむり事件簿

制作者: あさり
第1話 犯人はわたし?
投稿者: あさり
「犯人はお前だ!」

私(朝霧 遥あさぎり はるか)を含めこの温泉宿に泊まっていた客が全員集められて、中津川刑事が放った一言。

中津川刑事の人差し指はばっちり私に向けられていたが、私は左右をキョロキョロと確認し、自分の人差し指を自分に向けて、首を少しかしげ、わたし?という表情をした。
あ、こんなシーン漫画とかでありそうだな、と思ったが笑い事ではない。

──だって私じゃないもん

昨晩、この宿に泊まっていた客が死んでいた(らしい)
中年の男性で、どうやら殺人(らしい)

朝方、警察の人達が来て騒がしくなっていて、人づてに聞いた話はこれだけで、それ以上のことはなにも知らない。

え?なにこれ?冤罪ってやつ?容疑者になるってやつ?

私は慌てて首を大きく左右に振って、「違います違います」と言った。
首を振りながら、あ、なんか嘘くさい動作だな、と思った。

険しい顔をした中津川刑事がゆっくりと私に向かって近づいてくる。

「わかってる。全部分かってるんだ」

物知り顔で彼はそう言った。
第2話 私じゃないよ?
投稿者: あさり
「わかってる。全部分かってるんだ」

何が、何がわかってるって言うんですか!? 刑事さんは私の目の前でぴた、と止まった。うわ、近い。圧がすごい。なんか目が据わってる。こわい。

「とぼけても無駄だ。朝霧遥さん」

名前まで知ってる。そりゃそうか、宿帳に書いてあるもんね。 私はゴクリと唾を飲んだ。

「これを見ても、しらばっくれるつもりか?」

中津川刑事がジャケットの内ポケットから取り出したのは、透明なビニールの袋だった。その中に入っていたのは……。

え?

見覚えがある。いや、見覚えがあるどころじゃない。 それ、私が昨日使ってたハンカチだ。水色で、端っこにウサギの刺繍が入ってるやつ。 なんでそれがそんなところに?

「こ、これ、私のです。確かに私のですけど……なんで刑事さんが持ってるんですか?」 「被害者の部屋で発見された」 「え?」 「もっと詳しく言おう。被害者が、これを強く握りしめて死んでいたんだ」

「ええええええ!?」

私は今日一番、いや、人生で一番かもしれないくらい大きな声を出した。
私ってこんな大きな声出るんだ、ってちょっと思った。

周りにいた他のお客さんたちが、さっきよりももっとヒソヒソしてる。「やっぱりあの若い子が……」「まさか、あんな可愛い顔して……」みたいな声が聞こえてくる。

え?誰か可愛いって言った?
第3話 私のアリバイ?
「おい!どこを見とる!」

はっ、可愛いという言葉に反応してしまった。それどころじゃない!

「ちょ、ちょっと待ってください!」

私は慌てて両手を前に出した。待て、のポーズ。

「確かにそれは私のハンカチです。でも、でもですね!私、被害者の方に会ったことすらないんです!」

「ほう」中津川警部が腕を組んだ。「では、そのハンカチがなぜ被害者の手に?」

「それが私にもわからないんですよ!昨日の夕方くらいまでは確かに持ってたんですけど、その後、どっかで落としちゃったみたいで……」

我ながら苦しい言い訳だと思った。これ、ドラマとかだったら絶対に怪しまれるやつだ。

「落とした?」刑事さんの眉が片方だけピクッと上がった。

「はい……お風呂に入る前に脱衣所で……あ!」

私は何かを思い出した。

「そうだ!お風呂から上がったら、ハンカチがなくなってたんです!誰かが持って行っちゃったんですよ、きっと!」

「つまり君のハンカチを盗んだ誰かが、それを使って殺人を……?」

「そうです!そうに違いありません!私に罪をなすりつけるためにですよっ!」

私は力強く頷いた。完璧な推理じゃない?

「ふむ」

中津川刑事が何か言おうとしたその時、

「ちょっと待ちなさい!」

凛とした声が響いた。

え?誰?

振り向くと、そこには70歳くらいのおばあちゃんが立っていた。着物姿で、背筋がピンと伸びている。なんか貫禄がすごい。

「その子は犯人じゃないわよ」

おばあちゃんはそう言い切った。

「あなたは?」中津川警部が怪訝な顔をする。

「私は桐谷梅子。この宿の常連よ。もう50年も通ってるの」

50年!?私よりずっと長い!

「それで、なぜこの女性が犯人ではないと?」

「だって、この子、昨日の夜9時から11時まで、ずっと私と一緒にいたもの」

え?

えええええ?

私、そんな記憶ないんですけど!?
第4話 えっと、その……誰?
投稿者: あさり
「え?」
私は思わず声が出た。

「え?」って、もう今日何回言っただろう。でも仕方ない。だって私、このおばあちゃんと昨日の夜一緒にいた記憶が全くないんですけど!?

「桐谷さん、それは本当ですか?」
中津川警部が身を乗り出した。私も同じくらい身を乗り出したい気分だった。

「ええ、本当よ。この子ね、昨日の夜、露天風呂の近くでボーッと月を見てたのよ。それで私が声をかけて、それから大広間でずっとおしゃべりしてたの」

露天風呂……大広間……?

私の脳みそが必死に昨日の記憶を探っている。お風呂入った。ご飯食べた。部屋に戻って……あれ?その後どうしたっけ?

「ほら、この子、温泉ソムリエの資格を取りたいって言ってたでしょう?それで私が全国の温泉の話をしてあげたのよ」

温泉ソムリエ!?
私、そんなこと一言も言ってない!っていうか温泉ソムリエって何!?資格あるの!?

「あ、あの……」

私は恐る恐る手を挙げた。小学生みたいだな、と思った。
「桐谷さん、本当に申し訳ないんですけど、私、その記憶が全然なくて……」

「あらあら」
桐谷さんはニコニコしながら私の肩をポンポンと叩いた。

「そうよね。お酒飲みすぎちゃったものね〜」
「お酒!?」

飲んでない!私、お酒弱いから昨日は一滴も飲んでない!温泉に入る前も入った後も、ウーロン茶しか飲んでない!

でも、待って。
もしかして……このおばあちゃん、人違い?

「あの、桐谷さん」中津川警部が冷静な声で言った。「念のため確認しますが、あなたが一緒にいたのは、間違いなくこの朝霧遥さんですか?」
「ええ、間違いないわ」

桐谷さんは即答した。そして私の顔をじーっと見て、
「ほら、この特徴的な三白眼と、ちょっとタレ目で……」

三白眼!?私そんな目してるの!?

「それに、左の頬にある小さなホクロ。間違いないわよ」
確かに、左頬にホクロある。けど……。

その時、大広間の隅の方から、モジモジした声が聞こえてきた。

「あ、あの……」

みんなが一斉にそっちを向いた。
そこには、20代後半くらいの、メガネをかけた女性が立っていた。私と似たような身長で、髪型も似てる。そして、左頬にホクロがある。
「も、もしかして……私のことじゃないでしょうか……?」

え?

ええええええ?
第5話 スポットライトは誰に?
投稿者: Zelt
シーン、と大広間が静まり返った。 まるで舞台の幕が上がったみたいに、全員の視線が、隅っこでモジモジしている彼女に突き刺さる。スポットライトは、今、彼女のものだ。

「……なんだと?」 中津川警部が、私と彼女を交互に見比べながら、唸るような声を出した。

「あ、あのっ」 彼女はオドオドと一歩前に出た。 「私、昨日の夜、桐谷さんと大広間で……お酒、ご一緒しました。温泉ソムリエの話とか……」

「なんですって?」 今度は私が叫ぶ番だった。

「あら?」 桐谷さんがパチパチと瞬きをしながら、新しい彼女の顔をじーっと覗き込む。 「あらあらあら?……本当だわ。こっちの子も左頬にホクロがあるじゃない」

「桐谷さん!」 中津川警部が地響きのような声で迫った。 「あなたが一緒にいたのは!この朝霧遥なのか!それとも、そっちの女なのか!どっちだ!」

「ええ~?」 桐谷さんは、こめかみに人差し指をあてて、少し悩むそぶりを見せた後、あっけらかんと言い放った。 「さあ?どっちだったかしら。お酒飲んじゃってたから、どっちも同じに見えちゃったわねえ!」

「ええええええええ!?」 私、本日何度目かの絶叫。というか、それアリ!?アリバイ証言、全撤回じゃないですか!

「ふ、ふざけるなあっ!」警部が本気でキレそうだ。「証人失格だ!君は!」

「まあ、ひどい。本当のことなのに」 桐谷さんはプイッとそっぽを向いた。自由すぎる。

「おい、君!」 警部のターゲットが、再び私にそっくり(?)な彼女に移った。 「名前を言え!」

「は、はいっ」 彼女はビクッと肩を震わせた。 「あ……朝霧……ハルカ、です」

「「え?」」 私と警部の声が、綺麗にハモった。

「……朝霧?」警部が怪訝な顔で聞き返す。「遥か?」 「いえ、違います!」 彼女は慌てて首を振った。 「朝霧は同じなんですけど……ハルカは、太陽の『陽』に、香水の『香』で、陽香です!」

……アサギリハルカ。 漢字違いの同姓同名!?

「…………」

中津川警部が、私と、もう一人のアサギリハルカを、交互に、何度も、指差した。 そして、全ての怒りを込めた声で、叫んだ。

「貴様ら、グルか!!」

いや、だから私じゃないって!
第6話 カニは正義!
投稿者: レュー
「貴様ら、グルか!!」

中津川警部の怒鳴り声が、温泉宿の大広間に響き渡る。

私(朝霧 遥)と、もう一人の私(朝霧 陽香さん)は、顔を見合わせて、同時に叫んだ。

「「グルじゃありません!!」」

わ、ハモった!
でも、そんな息ピッタリな感じが、さらに警部のイライラを加速させたみたい。

「同じ名前!同じホクロ!こんな偶然があるわけないだろうが!」
「いや、でも、本当に初対面なんですってば!」
「そ、そうです!私も、この方とは今、ここで……」

私と陽香さんが必死に言い訳すればするほど、警部の目はどんどん据わっていく。こわい!
もうダメだ、このままじゃ二人まとめて逮捕されちゃう!

大広間の空気は最悪。他のお客さんたちも、遠巻きに私たちを見てヒソヒソしてる。
桐谷さんだけは「あらあら〜」とか言いながらお茶すすってるし。マイペースすぎる!

まさに絶体絶命!……と思った、その時だった。

スパーーーーン!!

ものすごい音を立てて、大広間のふすまが開いた!
え!?今度は何!?

「皆さまーーーっ!お待たせいたしましたーっ!」

そこに立っていたのは、満面の笑みを浮かべた宿の女将さんだった。
え、このタイミングで?

「本日のお夕飯!特別サービス!なんと!ズワイガニ食べ放題でございます〜!」

「「「カニ!!??」」」

私と陽香さんの声が、またハモった。
いや、ていうか、お客さん全員の声がハモった気がする。

「なっ、何を言っているんだ君は!」
中津川警部が叫ぶ。「こっちは殺人事件の捜査中なんだぞ!」

「あらあら、刑事さん」
女将さんはニッコリ笑って、パン!と柏手を打った。
「お腹が空いては戦はできませんわよ?それに、カニは鮮度が命です!」

「そ、そうは言うが……」
さっきまでの鬼の形相はどこへやら。警部がちょっとタジタジになってる。

「カニ……食べ放題……」
私、思わずゴクリと唾を飲んじゃった。

隣の陽香さんを見ると、彼女もメガネの奥の瞳をキラキラさせて、カニを見つめていた。

「おい!貴様らまで!」
警部が私たちをギロリと睨む。

「わ、わかってます!わかってますけど!」私は思わず叫んだ。「でも!カニは正義です!」

「そ、そうです!カニに罪はありません!」
陽香さんも乗っかってきた!

「そうよそうよ!」いつの間にか桐谷さんが私たちの隣に来ていた。
「私、カニのためなら、もう一回アリバイ証言してもいいわよ!」
「だから、あなたはもう結構です!」
警部のツッコミが冴えてる!

「とにかく!」女将さんがもう一度、パン!と手を打った。「捜査も!おしゃべりも!まずはカニを食べてから!ささ、皆さん、食堂へどうぞ!」

女将さんの一声で、さっきまでヒソヒソしてたお客さんたちが、「わーい!」とか言いながら一斉に食堂に向かっていく。
え、ちょ、事件は!?

「ま、待て!貴様らー!」
警部の悲痛な叫びもむなしく、大広間には、私と、陽香さんと、警部と、桐谷さんだけが取り残された。

「……私たちも、行きません?」
私が恐る恐る言うと、陽香さんがコクコクと頷いた。

「……しょうがないわね。カニが呼んでるもの」
桐谷さんも行く気マンマンだ。

「お、おい!朝霧 遥!二人とも!」

私たちは警部を置き去りにして、カニの待つ食堂へと駆け出した。
だって、しょうがないじゃん!

カニだもん!
第7話 飛んでけ!カニの殻!
投稿者: あさり
「「いただきまーす!!」」

私(朝霧 遥)と陽香さんの声が、またまたハモった!
私たちは、食堂のテーブルでカニと熱い戦いを繰り広げていた。

「陽香さん、そっちのカニ味噌すごい色してません!?」
「遥さんこそ!そのカニ脚、めっちゃ太くないですか!?」
「「やばーい!」」

さっきまで殺人事件の容疑者だったなんてウソみたい!
私たち、あっという間に意気投合しちゃった。だって、同じ「アサギリハルカ」だし、カニ好きだし! これも何かの縁だよね!

「こ、貴様ら……よくものうのうと……」

背後から怨念のこもった声が聞こえて、ビクッと振り返ると、そこには鬼の形相の中津川警部が立っていた。

「あ、警部さん!お疲れ様です!カニ、めっちゃ美味しいですよ!」
私がカニ脚を振って見せると、警部のこめかみがピクピクしてる。

「食べません!私は捜査を……!」
「はい、警部さん。特大タラバ、剥いときましたわよ」
女将さんが、山盛りのカニの身が乗ったお皿をスッと差し出した。

「……っ」
警部の喉がゴクリと鳴った。
……数分後。

「(もぐもぐ)……それでだ、朝霧 遥。君たちのアリバイはまだはっきりしていない(もぐもぐ)」
警部、めっちゃ食べてるし!

「だーかーらー、私じゃないですって!」
私はそう言いながら、カニの脚を折って、身を取り出そうとした。
でも、これが結構かたい!

「んんーーっ!」
力を込めた、その瞬間!

パキーン!

「「あ」」
私と陽香さんの声がハモった。(本日三度目)

カニの殻の先端が、ものすごい勢いで……飛んでった!
放物線を描いて、食堂の隅っこで黙々とカニを食べていた、長髪でちょっと暗そうな男の人の……おでこに、クリーンヒット!

ピタッ。
食堂の全員の動きが止まった。カニを食べる音も止まった。

ゆっくりと、その男の人がこっちを向く。
目が、めっちゃ座ってる……。

「ひっ!す、すみません!わざとじゃな、くて!」

「……うるさい」
地を這うような低い声。
「人が、カニに集中してる時に……」

「ご、ごめんなさーい!」

「……それより」
男の人は、おでこに当たったカニの殻を指で弾き飛ばした。
「そんなことより、昨日の夜、うるさかったよな」

「え?」警部が反応した。カニの身を口に運びかけたまま固まってる。

「被害者の部屋……隣だったんだよ、俺」
男は面倒くさそうに頭をかきながら言った。

「夜中に、誰かとデカい声で言い争ってたぜ。『金返せ』だの『約束が違う』だの……」

食堂中の視線が、警部を通り越して、その男の人に集中した。

え?
ええええええええ!?

それって、超・重・要・情・報じゃない!?
第8話 証言は踊る
投稿者: Zelt
中津川警部の箸が、カニの身を挟んだまま、空中で停止した。

「……なんだと?」

警部の声が、一オクターブ低く、重くなった。食堂の空気が一瞬で張り詰める。

「だから言ったろ」

長髪の男は、まだ座ったまま、自分のカニをプチプチと剥きながら続けた。演出的には、もうちょっと立ち上がって欲しいところだが、そういうタイプじゃないらしい。

「隣の部屋で、夜中の1時くらいまでガタガタうるさかったんだよ。せっかく温泉で癒されに来たのにさ」

「1時……」

警部がカニの身を皿に戻した。プロの刑事の顔になった。

「君は、なぜそれを今まで黙っていた」

「知らねえよ。誰も聞いてこなかったから」

男は肩をすくめた。

「それに、俺、イヤホンつけて音楽聴いてたから。途中でバッテリー切れて、それで気づいただけだし」

「……名前は」

小此木おこのぎ 祐二」

警部が素早くメモを取る。この流れ、完全に尋問だ。

「小此木さん。その言い争いについて、もっと詳しく。何か特徴的な言葉はなかったか?」

「あー……『最後の警告だ』とか、言ってたかな」

私(朝霧 遥)は、思わず陽香さんと顔を見合わせた。

最後の警告……?それって、脅迫じゃないですか!?

「声の主は?男か、女か」

「男だな。二人とも」

「二人?」

「ああ。一人は、太めの、ちょっとしゃがれた声。たぶんそれが被害者だろ?」

小此木さんが、警部の顔を見ずに、カニの殻をパキパキ割りながら言う。

「で、もう一人は……若めの男。声が高かった。それと……」

「それと?」

小此木さんは、ちょっと間を置いて、

「足音が変だった」

「足音?」

「ドタドタって、走って逃げてく音がしたんだよ。でもさ、なんていうか……不自然だった」

「どう不自然なんだ」

「リズムがおかしかった。ダダダダッ、じゃなくて、ダッ……ダッ……ダッ、みたいな」

小此木さんは、指で机をトントン……トン……トントン、とリズムを刻んでみせる。

「まるで片足を引きずってるみたいだった」

「……ッ!」

警部の目が、鋭く光った。

「足を引きずって……!」

そして警部は、スッと立ち上がると、食堂の入り口を見回した。

「宿の従業員の方!どなたか!昨夜、足にケガをした宿泊客はいないか!?」

女将さんが、ハッとした表情で、

「あ、それなら……」

「知ってるのか!?」

「はい。昨日の夕方に、お客様の一人が……廊下で転んで足を捻挫されたんです。湿布を持っていきました」

「誰だ!名前を!」

「えっと、確か……」

女将さんが、宿帳を確認しようと振り返ったその時だった。

ガタッ、と椅子が倒れる音。

食堂の奥から、一人の若い男が立ち上がった。

青白い顔。震える手。右足を、わずかに引きずっている。

「……あの、警部さん」

男は、絞り出すような声で言った。

「俺、……話が、あります」

シーン、と静まり返る食堂。

カニの湯気だけが、ゆらゆらと昇っていく。

警部が、ゆっくりとその男に向き直った。

「……話してもらおうか」

スポットライトは、今、彼のものだ。
第9話 まさかの自爆!?
投稿者: あさり
「……話してもらおうか」

中津川警部の低い声が響く。
足を引きずっている彼は、真っ青な顔でガタガタと震えていた。
まるで捨てられた子犬みたい。ちょっとかわいそうかも。

「お、俺……田中カケルっていいます。被害者の……甥です」

「甥だと?」
警部が眉をひそめる。

「はい。あのおっさん……叔父貴に、金を貸してたんです。5万円」

ご、5万円……。
殺人事件の動機にしては、ちょっと金額が、庶民的すぎない?
今回の私の旅費のほうが高いかもしれない。

「昨日の夜、どうしても金が必要になって……部屋に行ったんです。そしたら……」

カケル君はそこで言葉を詰まらせて、なぜかチラッと私を見た。
え、なに? 私?

「そしたら、叔父貴が……その、女物のハンカチを顔に押し当てて、スーハーしてたんです!!」

「「はあああ!?」」

私と陽香さんの声が、本日四度目のハモり。
え、待って。スーハーって何?

「すっごいニヤニヤして、『たまらん……このウサギの刺繍の手触り……最高だ……』って呟いてて。
俺、それ見たらなんかもう、気持ち悪いっていうか、情けないっていうか……」

うわぁ……。
私のハンカチ、そんな扱い受けてたの?
冤罪の恐怖よりも、別の意味で鳥肌が立ってきた。

「で、俺、思わず大声で叫んじゃったんです。『金返せよこの変態ーーっ!』って」

「そしたら?」
警部が身を乗り出す。

「そしたら叔父貴、ビクゥーーッ!ってなって。白目むいて、『うっ!』って胸押さえて……そのままバタリと倒れて……動かなくなっちゃって」

シーン…………

食堂中が静まり返る。カニを食べる音すらしない。

「お、俺、怖くなって! 殺したと思われたくなくて、慌てて逃げ出したんです! その時、慌てすぎて足をひねって……」

カケル君は泣きそうになりながら訴えた。

「俺、指一本触れてません! 叔父貴は……勝手にビックリして、勝手に死んだんです!!」

嘘でしょ……?
そんなのアリ?

中津川警部が、あいた口がふさがらないという顔で、懐から手帳を取り出した。

「……そういえば、鑑識の報告に『死因は急性心不全の可能性あり』とあったな。外傷も少なかったし、争った形跡というよりは、単に倒れただけに見えなくも……」

警部はカクッと膝から崩れ落ちそうな勢いで溜息をついた。

「つまり、なんだ。事件の真相は……ハンカチの感触を楽しんでいた変態が、甥っ子に怒鳴られて、ビックリして心臓が止まった……事故死、ということか?」

「そ、そんなぁ〜〜!!」

私は思わずテーブルに突っ伏した。
何それ! 何そのオチ!
私の昨日の恐怖を返してよ!
っていうか、あのおばあちゃん(桐谷さん)のアリバイ証言とか、もう一人の私(陽香さん)の登場とか、全然関係なかったじゃん!

「……ふっ」

隣で、陽香さんがメガネをクイッと直しながら笑った。

「カニの殻が、真実を暴いたってわけですね」

「うまいこと言ってる場合ですか!」

私はツッコんだけど、全身の力が抜けていくのがわかった。
よかった。
本当によかった。
私、犯人じゃなかったんだ……!

「……人騒がせな」

小此木さんが、呆れたように呟いて、最後の一本のカニ脚を口に放り込んだ。

中津川警部は、なんだかすごく疲れた顔で、カケル君の肩に手を置いた。

「まあ……事情聴取は必要だが、殺人ではないなら情状酌量の余地はあるだろう。署で詳しく聞くからな」

「は、はい……すみませんでしたぁ……」

カケル君がへなへなと座り込む。

こうして、湯煙殺人事件……改め、湯煙変態ショック死事件は、あまりにもあっけなく、そして情けない形で幕を閉じたのだった。

さあ、あとはこの美味しいカニを食べて、ゆっくり温泉に入って寝るだけ!
……だよね?
第10話 事件解決!……ってことでいいよね?
投稿者: あさり
「「「かんぱーーーーい!!」」」

食堂に、私たちの元気な声が響き渡る。
グラスに入っているのは、シャンパン……ではなく、キンキンに冷えたウーロン茶だ。

「いやー、食った食った! まさか事件のオチが『変態おじさんのショック死』だなんてねー!」

陽香さんがカニの爪をパキッと割りながら、ケラケラ笑っている。
眼鏡がちょっとズレてるけど、気にしてないみたい。

「本当ですよぉ……。私、一時はどうなることかと……」

私は大きくため息をついて、目の前のタラバガニにかぶりついた。
んー! おいしい! 冤罪の恐怖から解放されたあとのカニは、格別の味がする!

私たちの横では、中津川警部が、カケル君をパトカーに乗せる手配を済ませて戻ってきていた。
なぜか、すごく「やりきった顔」をしている。

「ふっ……。真実はいつも、カニの殻の下に隠されているものなのだよ」

警部が誰に言うともなくつぶやいた。
いやいやいや! 警部、何もしてないですから!
推理外しまくってたし! 最後もただ呆然としてただけだし!
しかも、よく見たら口の端っこにカニの身がついてますよ?

「あの、警部さん」

私が恐る恐る指摘しようとしたら、警部がビシッと手を突き出した。
その手には、あのビニール袋が握られている。
中に入っているのは、水色の、ウサギの刺繍の入った……。

「朝霧 遥さん。容疑が晴れた以上、これは君に返却しよう」

「いりません!!!」

私は食い気味に叫んだ。
無理無理無理!
おじさんがスーハーして、うっとりしながら天に召されたハンカチなんて!
呪いのアイテム以外の何物でもないでしょ!

「え? いいのか? 限定品だと言っていたが」
「あげます! 警部にプレゼントします! 捜査の記念にどうぞ!」
「うむ……。では、警察学校の教材として大切に使わせてもらおう」

使うの!? 教材って何の!?
もうツッコミが追いつかないよ!

その時、ずっとお茶をすすっていた桐谷梅子さんが、ふと思い出したように口を開いた。

「そういえばねえ」

おばあちゃんの声に、全員の視線が集まる。
まさか、まだ何か隠していることでも?

「私、思い出したのよ。昨日の夜、一緒にいた女の子のこと」
「えっ、誰だったんですか?」

私が身を乗り出すと、桐谷さんはニコニコしながら言った。

「あれ、きっと座敷童ちゃんね」

「「「はあ!?」」」

本日最後の大合唱。

「だって、足がなかったもの。フワフワ浮いてたし」

「ひいいいいいッ!」

私と陽香さんは抱き合って震え上がった。
小此木さんは「マジかよ……」って顔面蒼白だし、中津川警部にいたっては「幽霊の捜査権限は管轄外だ!」とか言って逃げる準備をしてる。

「まあ、いいじゃないの。座敷童を見ると幸せになれるっていうし」
「そういう問題じゃなーい!」

結局、殺人事件の犯人はただの事故で、アリバイの証人は幽霊を見ていて、探偵役はカニだった。
もう、めちゃくちゃだ。

「あーあ、もう! こうなったらとことん温まってやるー!」

私は立ち上がって、高らかに宣言した。
せっかくの温泉旅行だもん。
変な事件も、幽霊の話も、全部お湯に流しちゃえ!

「陽香さん! このあと卓球勝負ですよ!」
「望むところです! 負けたほうがコーヒー牛乳おごりね!」
「受けて立ちます!」

私たちは笑い合って、湯けむりの彼方へと駆け出した。
朝霧 遥の湯煙事件簿、これにて一件落着……ってことで、いいよね!?

(おしまい!)
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