読み込み中...

童話異聞録「桃太郎」

制作者: A5
第1話 川上からの贈り物
投稿者: A5
昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました。

お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
穏やかな昼下がり、川のせせらぎだけが聞こえる静かな場所です。
お婆さんが洗濯物を洗っていると、川上から何かが流れてきました。

どんぶらこ、どんぶらこ。

水面を揺らして近づいてくるのは、一つの桃でした。
お婆さんは手を止めて、それをじっと見つめました。 どんぶらこという音からとっても大きな桃を想像しましたが、けれどお婆さんの目の前に流れてきたのは、片手でひょいと掴めそうな、ごく普通の大きさの桃でした。

「あらあら、可愛らしい桃だこと」

お婆さんは微笑んで、その桃を拾い上げました。 熟れ具合もちょうどよく、甘そうな香りが鼻をくすぐります。
奇跡のような大きさではないけれど、今日のおやつには十分です。

「お爺さんと半分こにして食べましょうかね」

お婆さんはその小さな桃を、大事に手ぬぐいで包むと、足取り軽く家へと帰りました。
それは、何気ない日常の、ほんの小さな幸せでした。
第2話 若返りの桃
投稿者: 冬至梅
お婆さんは家に戻ると、早速手ぬぐいから桃を取り出しました。包丁を手に取り、そっと桃に刃を入れると、桃はみずみずしい香りを広げて二つに割れました。

 ちょうどその時、お爺さんが芝刈りから帰ってきました。

「婆さんや、戻ったぞ」

 声をかけながら戸を潜ると、お爺さんは香りに気づいて目を丸くしました。

「おや、美味そうな桃ではないか」

「川で拾ったんですよ。二人で食べましょうね」

 お婆さんが差し出した桃の半分を、お爺さんは嬉しそうに受け取り、二人は笑い合いながら桃を口に運びました。柔らかい果肉の甘みが口いっぱいに広がり、二人は思わず顔を見合わせます。

「こりゃあ、美味い桃じゃ……」

「ええ……なんだか、不思議なほどに」

 その夜、二人はいつもよりも深く眠りにつきました。

***

 翌朝、鳥の声が響く頃。お婆さんはいつものように目を覚ましましたが、自分の手元を見て息を呑みました。

「これは……!どういうことじゃ……?」

 シワが無くなり、肌は張りを取り戻し、まるで嫁入り前の姿に戻っているのです。急いで隣を見ると、お爺さんもまた目を見開いていました。

「婆さんや……!わしはまだ夢の中におるのか?」

「いいえ、お爺さん……!ですが、どう見ても若い頃の姿です」

 二人はしばらく呆然としていましたが、やがて昨日食べた桃を思い出しました。普通の桃に見えましたが、あの不思議な甘さ。二人は顔を見合わせ、静かに頷きました。

「……あの桃は、きっと天からの贈り物だったのじゃろう」

「ええ、私たちにもう一度生き直せという、お告げかもしれませんね」

 その日から二人は、若返った身体で改めて仕事に励み、村の人々からは驚きと羨望の目で見られるようになりました。

***

 それから数年の月日が流れました。

 若返ったお爺さんとお婆さん――今では再び名前で呼ばれるようになった「藤兵衛とうべえ」と「おね」の家には、新たな笑い声が生まれていました。おねが大切そうに抱いているのは、まだ幼い娘です。

「藤兵衛どの、この子もよく笑うようになりましたね」

「おう、おね。まるで陽だまりのようじゃ」

 二人は娘に「もも」と名付けていました。あの日、川上から流れてきた桃――二人に若さを与え、新たな命を呼び寄せた不思議な贈り物にちなみ、心からの感謝を込めて。

 こうして藤兵衛、おね、そしてももの三人家族は、穏やかな日々を過ごしていたのです。
第3話 秘めたる決意
投稿者: あさり
あれから数年の時が流れました。

藤兵衛とおねの愛情を一身に受けて育ったももは、村の誰もが振り返るような美しい娘へと成長していました。

黒髪は艶やかに輝き、その瞳は澄んだ湖のように深く、優しさを湛えています。けれど、その優しさの奥底には、曲がったことを決して許さない、凛とした強さが秘められていました。

ある日のこと。ももは村の広場で、商人たちがヒソヒソと話しているのを耳にしました。

「聞いたか?また隣村の蔵が破られたそうだ」
「ああ、なんでも沖にある鬼ヶ島に住み着いた悪党どもの仕業らしいな」

鬼ヶ島。
それは、ここから海を隔てた先にある孤島です。最近、そこに凶暴な集団が住み着き、近隣の村を襲っては食料や金品を奪っているというのです。
怯える村人たちの顔を見て、ももの胸は締め付けられるように痛みました。

(お父様もお母様も、村のみんなも…こんなに毎日一生懸命生きているのに)

穏やかな日常を脅かす理不尽な暴力。それが許せませんでした。
その夜、ももは鏡の前で長く伸ばした髪を見つめ、静かに、けれど固く決意しました。

「私が、行きます」

誰に言うわけでもなく、小さくつぶやく。
ですが、か弱い娘の一人旅となれば、鬼退治どころか、道中でどんな危険に遭うかわかりません。

ももは、箪笥の奥から古びた旅装束を取り出しました。それは藤兵衛が若かりし頃に着ていたものです。
着慣れない袴に足を通し、豊かな黒髪を高い位置で結い上げます。
鏡の中に映ったのは、美しい娘ではなく、意志の強い眼差しをした一人の若者の姿でした。

「…今日から、私の名は『桃太郎』」

愛する家族と村を守るため、ももは――いいえ、桃太郎は、愛用していた短刀を懐に忍ばせ、静かに部屋を後にしました。
第4話 不思議な出会い
投稿者: 冬至梅
もも改め桃太郎は、夜明けの薄明かりを背に家を後にしました。

 海までは、それなりの道のりがあります。それでも若さと気力に任せて進めば、日が暮れる前に辿り着けるだろう――そう考えていました。
 けれど、現実はそう甘くありません。太陽は高く昇ったかと思えば、すぐに傾き始め、あっという間に山影へ沈んでいきました。

「……今日は、ここまでのようね」

 桃太郎は小さく息をつき、周囲を見回しました。少し離れた竹林の奥に、朽ち果てた古い寺があります。屋根瓦は落ち、柱も傾いていますが、雨風を凌ぐ程度にはなりそうです。

 そこで夜を明かすしかない――そう思い、足を向けた時でした。

「お若いの。こんな山奥で野宿かい?」

 掠れた声がして振り返ると、白髪の年老いた老婆が立っていました。背は小さく、杖をついているものの、その目には不思議な光が宿っています。

「あ……いえ、その……野宿のつもりではありませんが……」

 桃太郎は慣れない男の口調で答えます。

「ほう、旅慣れておらんようじゃのう。ここらは獣も出る。廃寺に一人で寝るには危ういわ」

 老婆は笑いながら近づいてきます。桃太郎は慎重に距離を保ちました。幸い、男装していることにも、旅の目的にも気づかれた様子はありません。

「わしの家が、すぐそこじゃ。こんな崩れかけた寺で寝るより、よほど心強いぞい。ほれ、ついて参れ」

 老婆はゆっくりと竹林の方へ歩き始めました。桃太郎は一瞬迷いましたが、夜の山で灯りもなく過ごすよりはマシだと考え、後を追いました。
第5話 日ノ本一のきび団子
投稿者: 冬至梅
老婆の家は、竹林の奥にひっそりと建っていました。

「さあさ、遠慮せんと入りなされ」

 桃太郎が戸をくぐると、土間の奥には小さな囲炉裏いろりがあり、湯気の立つ鍋がぐつぐつと音を立てています。
 老婆は手際よく椀を取り出し、雑炊をよそって差し出してきました。

「それと……これじゃ」

 皿に並べられたのは、素朴なきびの団子でした。

「これはのう、日ノ本いちの黍団子じゃ」

桃太郎は目を丸くします。

「それほどに?」

「ほほほ、自惚うぬぼれで言うておるのではないぞ。
 昔、お稲荷さまが夢枕に立ってのう……わしに作り方を教えてくれたんじゃ。一つ食うだけで千人力ぞ」

 言われるままに一つ口に入れると、ほのかな甘みと香ばしさがあり、疲れがふっと軽くなるような気がしました。

「……誠に、力が湧いてくる気がいたします」

「そうじゃろう、そうじゃろう。若い者にはよう効くんじゃ」

 老婆は満足げに頷くと、続けて言いました。

「明日、ここを出るのじゃろう? その時は、この団子を持っていくとええ。旅にはきっと役に立つぞい」

 桃太郎は深く頭を下げました。

「ありがとうございます。でしたら……手伝わせていただきます」

「おお、それは助かるのう。せっかくじゃから、ようけ作っておこう」

 それから二人は並んで団子を作り始めました。言葉は少ないけれど、不思議と心の落ち着く時間でした。

 こうして、桃太郎の旅の始まりの夜は、更けていくのでした。
第6話 暴れ犬の健
翌朝、ももは老婆に深々と頭を下げました。
「お婆さん、本当にありがとうございました」
腰に提げた袋には、昨日二人で作った黍団子がたっぷりと詰まっています。そのずしりとした重みは、老婆の優しさそのもののようでした。
「気をつけてな。無理はするんじゃないよ」
老婆の温かい見送りを受け、もも(桃太郎)は再び歩き出しました。

山を下り、街道に出ると、人の往来が増えてきました。
しばらく歩いていると、前方の辻で怒号が響き渡りました。
「おい、どこに目をつけて歩いてやがる!」

見れば、派手な着物を着流した若い男が、行商人の荷物を蹴り飛ばしています。
「俺様の着物に土埃がかかっただろうが。どう落とし前つけるつもりだ、あぁ?」
男の腰には立派な太刀。整った顔立ちをしていますが、その瞳は飢えた獣のようにギラついていました。周囲の人々は遠巻きに見て見ぬふりを決め込んでいます。

(…許せない!)

ももの胸の奥で、義憤の火が燃え上がりました。
自分が男装の旅人であることも忘れ、二人の間へ割って入ります。
「やめないか!」

凛とした声が響きました。男は蹴り上げた足を止め、不快そうに桃太郎を睨みつけます。
「あぁ? なんだお前は。この村の領主の息子、犬飼健様を知らねぇのか」
「領主の息子が聞いて呆れる。弱い者をいじめて恥ずかしくないのか」

ももが気丈に言い放つと、健は鼻で笑い、ゆっくりと太刀の柄に手をかけました。
殺気が肌を刺します。ももは懐の短刀に手をやりますが、武術の心得などないその指先は、恐怖で微かに震えていました。
第7話 驕りの刃
投稿者: さんぽ
健が太刀を抜くと、空気を裂くような鋭い音が、ももの耳を打ちます。
その音は、命の取り合いに慣れていない者の歩みを止めるには十分すぎました。

しかし、健の足さばき、肩の力の入り方、刃の角度。
すべてがももの視界の中でゆっくりと、妙に大きく、はっきりと見えたのです。

(な、何これ……?)

脳裏をよぎったのは、今も鮮やかな思い出。
臼と杵のリズムを合わせるのに苦労した餅つき。
だが、戸惑ったのは最初だけ。
ある瞬間から、次にどこへ杵が落ちるか自然と分かるようになりました。

(あの時と……同じ感覚だ)

健が踏み込み、太刀が振り下ろされます。
ももの身体が勝手に動きました。
一歩、横へ滑るように退き太刀をかわします。

健が驚いて目を見開きます。

「まっ…まぐれで避けたみてぇだな!」

二の太刀。
しかし、ももには分かっていました。
次は腰から振り上げてくる――。

短刀と太刀がぶつかり、小さな火花が散りました。
腕が痺れるほどの衝撃。
ももは、その痛みから恐怖ではなく勇気を得ました。

(動きが読める!)

健が怒りに任せて三度目の踏み込みをします。
その瞬間、ももは健の動きを読み取ります。

(右足に重心――次は横薙ぎ!)

ももは地を蹴り、健の懐に飛び込みました。
そして、短刀の柄で健の手首を打ちます。

「ぐあっ!」

太刀が落ち、乾いた音を立てて転がります。
ももは続けざまに、体勢が崩れた健の肩を押し込むと、健は尻もちをつき、呆然と桃太郎を見上げました。

「お、俺がこんなやつに…」

驚愕する健。
ももは息を整え、きっぱりと言い放ちます。

「あなたが振りかざしていたのは刃ではない。驕りだ。そんなもの、通用しない」

周りの人々がざわめき、行商人が涙目で頭を下げます。

「助けていただき、本当に……!」

健は顔を真っ赤にして立ち上がろうとしたが、足がもつれてうまく力が入りませんでした。
膝をついたまま、しばらく地面を睨みつけていると、やがて歯を噛みしめて顔を上げます。

「……くそ」

その声には、さきほどまでの尊大さはありません。

「剣を持ったのは早かった。強いって言われ続けて、調子に乗って……」

健は拳を握りしめます。

「でも、あんたには勝てなかった」

周囲の人々が息を呑む中、健はゆっくりと頭を下げました。
それは、先ほど行商人に向けていた態度からは想像もできないほど、深い礼でした。

「……すまなかった」

ももは驚き、思わず一歩引きます。
健は構わず言葉を続けます。

「俺はこのままじゃ、ただの威張り散らした馬鹿だ」

視線を上げ、ももを真っ直ぐに見据えます。

「だから……頼む。あんたの旅に、同行させてくれ」

ももは黙って健を見つめました。
確かに、健は乱暴で傲慢でした。
しかし今、その目には嘘がない。

(この人も……迷っていたのかもしれない)

ももは、腰の袋に入った黍団子の重みを思い出します。
彼は一つ深呼吸をしてから言いました。

「……条件がある」

健がはっと顔を上げます。

「自分の弱さから逃げないこと」

健は力強くうなずきました。

「……誓うよ」

こうして、ももの旅に一人の剣士が加わることになりました。
第8話 猿ではなく人
投稿者: 冬至梅
海へと続く道を、桃太郎と健は並んで歩いていました。健は時折、横を歩く桃太郎をちらちらと見ていましたが、旅装束に身を包んだその姿から、女であるとは夢にも思っていない様子でした。

「もうじき海だ。ここまで来れば、引き返すことはできない」

「ああ。覚悟はとうに決めている」

 健は短く答え、前を見据えました。

 その時です。丘の麓に、不穏な気配が漂っているのに二人は気づきました。
 一人の武士が、弓を構えて立っています。その視線の先には、一本の木。そして――その幹には、小柄な男が縄で縛り付けられていました。男の頭の上には、木の的があります。

「……まさか」

 健が言葉を失う間にも、武士は矢を引き絞ります。ひゅん、と乾いた音がして、矢は放たれました。矢は真っ直ぐに飛び、見事、的の中心を射抜きます。
 その真下にいた男は、顔を引きつらせながらも、凍りついた笑みを崩さずに声を上げました。

「お、お見事にございます!」

 その様子を見て、もう一人の若い武士がはしゃいだ声を上げます。

「兄者、次はわしが」

 弟らしきその武士は弓を受け取り、楽しげに構えました。

「動くなよ、猿!」

 ももの胸に、強い怒りが込み上げました。考えるよりも先に身体が動き、ももは丘を駆け降りていきます。

「おい! 待て!」

 健の制止の声が背後から響きますが、ももは止まりません。

「やめろ!」

 叫び声とともに駆け寄り、桃太郎は木に縛り付けられた男の縄に手をかけました。刃を入れると、縄は簡単に切れます。

「大事ありませんか」

 男は呆然としながら、ただ何度も頷きました。

「小僧! なにゆえの邪魔立てか!」

 二人の武士が怒声を上げ、桃太郎を睨みつけます。

「人を的にして弓の稽古など、あまりに非道。恥を知れ!」

 桃太郎がきっぱりと言うと、兄と思しき武士は鼻で笑いました。

「くだらん! こやつはの、百姓にも商人にもなれぬゆえ、己を猿と称して、我らに媚びへつらうしか脳のない男よ」

 弟もせせら笑います。

「そうじゃ。我らのおかげで飯が食えておるのよ、この猿は! 有難いと思うておるに違いないわ!」

 その言葉に、ももの拳が震えました。一歩前に出て、強く言い放ちます。

「……猿じゃない……! 人だ!」

 その声を聞いた瞬間、縄を解かれた男の目に、涙が滲みました。

「人……? 猿ではなく……人?」

 信じられないものを見るように、男は桃太郎を見つめています。
 二人の武士は怒りに顔を歪め、ゆっくりと距離を詰めてきました。静まり返った丘の麓で、剣呑な空気が張り詰めます。
第9話 新しい仲間たち
桃兄ももにい、下がっててくれ。こんな奴ら俺一人で十分だ」
(健は桃太郎のことを桃兄と呼ぶようになっていた)

健は太刀の柄に手をかけ、桃太郎を庇うように一歩前へ出た。その背中には、仲間を守ろうとする頼もしさが滲んでいます。
けれど、ももは首を横に振りました。

「いいえ、弓使いもいる。私も行く」

ももがそう言いかけた、まさにその時。
弟と呼ばれた武士が、不意をついて矢を放ちました。卑怯な不意打ち。ヒュン、と風を切る音が、鼓膜を震わせます。
しかし、ももは瞬きひとつせず、ほんの少し首を傾けました。
矢はももの頬を掠めることもなく、虚しく後方の空気を裂いていきました。

「…これだ」

健が思わず息を呑む。

「この目が、桃兄のすげぇとこだ…」

呆気にとられた弟に代わり、今度は兄が怒声を上げて斬りかかってきました。

「舐めるなァ!」

力任せに振り下ろされた刃。しかし、桃太郎と健、二人の呼吸は不思議なほど合っていました。
健が太刀で兄の攻撃を受け流し、その隙間を縫うように桃太郎が踏み込みます。桃太郎は短刀の峰で、兄の手首を鋭く打ちました。
カラン、と乾いた音がして、刀が地面に落ちます。
それとほぼ同時に、健が弟武士の弓を蹴り上げ、切っ先を喉元に突きつけました。

勝負は、一瞬でした。

静寂が戻った丘の麓で、へたり込んだ兄弟は信じられないものを見る目で二人を見上げています。

「くそっ…なんだよ、お前らは…」

「ただの通りすがりだ。だが、弱い者をいたぶるような連中には負けない」

健が冷ややかに言い放つと、二人は悔しそうに唇を噛み締め、俯きました。

桃太郎は短刀を収めると、木に縛られていた男の元へ歩み寄りました。
男は腰が抜けたのか、地面に座り込んだまま震えています。

「怪我はないか?」

「あ、ありがどう…ございます…おいら、猿だなんて呼ばれて…誰からも、人間扱いなんかされなくて…」

男の名は、猿吉というそうです。身寄りがなく、小柄で身軽なことから、そう呼ばれて蔑まれてきたのだといいます。
ももはしゃがみこみ、猿吉の震える手をそっと握り締めました。

「猿吉さん。あなたは猿じゃない。私たちと同じ、温かい血の通った人間だ」

その光景を見ていた武士の兄弟――兄の雷蔵と、弟の風太の心に、ある感情が芽生えていました。

「…なぁ」

雷蔵が、絞り出すように声をかけました。

「俺たちも…連れて行ってくれねぇか」

「はぁ?何言ってんだお前ら」

「頼む!俺たち、家柄だけで偉そうにしてたけど、本当は空っぽなんだ。あんたらの強さが、剣の腕だけじゃないことくらい、今の打ち込みでわかった。あんたらの背中を見て、一からやり直してぇんだ」

「おいらからも、頼みます…!この人たち、本当は根っからの悪人じゃねぇんです。寂しかっただけなんだと、思うんです」

猿吉までもが頭を下げました。ももは驚きましたが、やがて困ったように、けれど温かく微笑みました。

「わかった。でも、条件がある」

ももは二人を真っ直ぐに見据えました。

「過去のことは水に流す。その代わり、これからはその力を、誰かを守るために使うこと。それができるなら、歓迎する」

雷蔵と風太は顔を見合わせ、そして深く頷きました。
こうして、桃太郎の一行は一気に賑やかになりました。
心優しき軽業師の猿吉、そして改心した雷蔵と風太の兄弟。
五人になった一行は、潮風の香る道を、鬼ヶ島へ向けて再び歩き出したのです。
第10話 迷い
投稿者: クロマル
五人の旅は、日に日に賑やかになっていました。

猿吉は先頭に立ち、持ち前の身軽さで道を切り開きます。雷蔵と風太の兄弟は、時折じゃれ合いながらも、以前のような傲慢さは影を潜めていました。
健は相変わらず桃太郎の傍を離れず、何かあればすぐに手を貸そうとします。

「桃太郎さんはよ、なんであんな強ぇんだろうな」

ある日の夕暮れ、川辺で休憩を取っていた時のことです。雷蔵がふと、風太に小声で話しかけました。

「わかんねぇ。でもよ、時々思うんだ」
「何を」
「もしかして桃太郎さんって……女なんじゃねぇかって」

その言葉を、少し離れた場所で水を汲んでいた健が聞いてしまいました。
竹筒を持つ手が、ぴくりと止まります。

「いやだってさ、やけに所作が色っぽいっていうか……なんつーか、しなやかっていうか」
「馬鹿か。あれは武芸の動きだろ」
「でもよ、髪を結い上げる時の指先とか、食事の時の箸の持ち方とか……」

健は思わず二人のもとへ歩み寄り、問いただしました。

「どうした。何の話だ」
「いえね、もしかしたら桃太郎さんって、女性なんじゃねぇかって」
「はぁ? 何言ってやがんだ」
「いえすんません、やけに所作が色っぽいというか、なんていうか……」

健の眉がぴくりと動きました。

「ふざけんな!桃兄が女な訳ねぇだろ。そりゃすげぇ美男子だと思うけど。恩人の桃兄を侮辱するようなこと言うとゆるさんぞ!」
「すんません、すんません」

雷蔵と風太は慌てて頭を下げます。
健はフンと鼻を鳴らして踵を返しましたが、その足取りはどこか落ち着きませんでした。

(全く、あいつらときたら……)

そう思いながらも、健の視線は無意識に桃太郎を追っていました。
川辺で猿吉と何やら話している横顔。夕日に照らされた頬の輪郭。風に揺れる後れ毛。

(……やめろ、俺)

健は頭を振りました。けれど、一度意識してしまったものは、そう簡単には消えてくれません。

「どうした、健」
不意に声をかけられ、健は飛び上がりそうになりました。振り向くと、桃太郎がすぐ傍に立っていたのです。
「い、いえ、なんでもねっす」

声が上ずってしまいました。桃太郎は不思議そうに首を傾げます。その仕草が、また妙に……。

(俺、そっちの気はねぇはずなのに……いけねぇ、いけねぇ)

健は顔を背け、わざとらしく咳払いをしました。

「ちょっと、水汲んでくる」
「さっき汲んだばかりでは…」
「い、いいんすよ!」

そう言い捨てて、健は足早にその場を離れました。残された桃太郎は、きょとんとした顔で健の背中を見送っています。
その様子を、少し離れた場所から見ていた猿吉が言いました。
「……なんか、健の旦那、おかしくねぇですか」

***

翌日、一行は街道沿いの大きな宿場町に辿り着きました。

すると、町の入り口で二人の侍が待ち構えていました。
「お待ちしておりました。あなた方が、噂の五人衆でございますね」
健が警戒して前に出ます。

「噂だと?」
「はい。悪党どもを懲らしめ、弱きを助ける若者たちがいると。我が主の江角えずみが、ぜひ館へお招きしたいと仰せです」

五人は顔を見合わせました。
江角といえばこの辺りを取り仕切ってる大領主です。

「…どうする、桃兄」
「断る理由はない。行ってみよう」

桃太郎が頷くと、一行は侍に先導されて、町の奥にある立派な館へと向かいました。
第11話 妖艶の宴
投稿者: クロマル
館の門をくぐると、朱塗りの廊下が奥へと続いていた。
壁には金箔の屏風。天井からは絹の飾り布が垂れ下がっている。

「…派手だな」

健が呟いた。

奥の間へ通されると、一人の女が待っていた。
年の頃は三十ほど。白い肌に、濡れたような黒髪。唇には紅が引かれ、目元には妖しい影が落ちている。

「ようこそいらっしゃいました。私、江角の妻でございます」

深く頭を下げる仕草。着物の袖が畳に流れた。

「主人は少々体調を崩しておりまして…代わりに、私がおもてなしを」
「それは心配ですね。お大事に」

桃太郎が丁寧に返すと、女はにっこりと微笑んだ。
その笑顔が、どこか作り物めいて見えたのは気のせいだろうか。

***

宴が始まった。

膳には山海の珍味。酒は次々と注がれる。
雷蔵と風太は早くも顔を赤くして、猿吉と肩を組んで騒いでいた。

「いやぁ、こりゃうめぇ!」
「おいらもう三杯目っす!」
「飲め飲め!今日くらいいいだろ!」

桃太郎は杯を口元に運ぶふりだけして、そっと膳に戻した。
健も同じく、酒には手をつけていない。

江角の妻は、酒を飲む男たちの間を優雅に動き回っている。雷蔵の杯に酒を注ぎ、風太の肩に手を置き、猿吉の頬に指を這わせる。
その度に、男たちの顔から血の気が引いていくように見えた。

「なぁ…なんか、だるくねぇか」

雷蔵が呂律の回らない声で言った。

「俺も…なんか、力が…」

風太が杯を取り落とす。猿吉はすでに畳に突っ伏していた。

健の額にも、冷や汗が浮かんでいる。

「くそ…俺まで…酒には、手をつけないようにしてたのに…」

膝から力が抜けていく。まるで、身体の中から何かが吸い取られていくような感覚。

「おや」

江角の妻が、ゆっくりと振り向いた。

「あなたは…平気なのですね」

その視線の先には、桃太郎が静かに座っていた。
顔色一つ変わらず、真っ直ぐに女を見据えている。

「…何者だ、お前」

健が這うように桃太郎の前に出ようとする。しかし、身体が動かない。

女の唇が、三日月のように歪んだ。

「あらあら、気づかれてしまいましたか」

瞬間、女の姿が揺らいだ。
白い肌が青白く変わり、黒髪は蛇のようにうねり始める。目は金色に輝き、口元からは鋭い牙が覗いた。

「私は男の精気を喰らう者。この館の主人も、とうに喰い尽くしました」

妖怪が嗤う。

「さあ、あなたも――」

桃太郎は静かに立ち上がった。

短刀を抜き放つ。
銀色の刃が、燭台の灯りを反射して煌めいた。

「な…なぜ立てる、なぜ効かぬ!?」

妖怪が驚愕の声を上げる。

桃太郎は答えなかった。ただ一歩、また一歩と距離を詰める。
妖怪が爪を振るう。桃太郎はそれを紙一重でかわし、懐に飛び込んだ。

一閃。

悲鳴が響き、妖怪の身体が黒い霧となって散っていく。

「おのれ…何者…」

それが、最後の言葉だった。

***

しばらくして、男たちは意識を取り戻した。
奪われた精気は、妖怪が消えたことで少しずつ戻ってきたらしい。

「うぅ…何が起きたんだ…」
「妖怪だ。桃太郎さんが退治してくれた」

健が説明すると、雷蔵たちは目を丸くした。

「マジかよ…」
「おいら、全然気づかなかった…」

皆が桃太郎に感謝の言葉を述べる中、健だけは黙っていた。

(俺は…あの妖怪の術にかかった)

拳を握りしめる。

(なのに桃兄は、全く平気だった)

桃太郎の横顔を見る。
夜風に髪を揺らしながら、静かに月を見上げている。

(…やっぱり、桃兄には特別な力があるのか)

健の脳裏に、雷蔵たちの言葉がよぎる。

――もしかして桃太郎さんって…女なんじゃねぇかって。

(まさか…な)

健は頭を振った。

けれど、胸の奥に芽生えた小さな疑念は、消えてくれなかった。
第12話 傾奇者
宿場町の大通り。
昼下がりの陽射しが、往来に長い影を落としていた。

桃太郎一行は、茶屋の縁台に腰を下ろしていた。
団子を頬張る猿吉。茶を啜る雷蔵と風太。そしてその隣で、ぼんやりと空を見上げる桃太郎。

「――おや」

不意に、人垣がざわめいた。
派手だった。
真紅の着流しに、金糸の刺繍。髪は炎のように逆立ち、耳には揺れる飾り。腰には鎖の巻きついた鎌。
傾奇者だ。

「おいおいおい、なんだありゃあ」
風太が目を丸くする。
傾奇者は真っ直ぐ歩いてきた。
そして、桃太郎の前でぴたりと足を止めた。

「よぉ」
にっ、と笑う。
「あんた、いい顔してんな。俺と一杯やらねぇか」
桃太郎が目を瞬かせる。
「は?」
「いやぁ、この辺じゃ見ねぇ顔だと思ってよ。旅の者だろ? 退屈してんだろ? 俺が相手してやるよ」

馴れ馴れしく肩に手を回そうとする。
その手を、健が掴んだ。
「おい」
「あん?」
「桃兄に何してやがる」
「桃兄? ああ、こいつの名か。いい名だな」
「触んな。桃兄は男だ」
「知ってるよ」

傾奇者はあっさりと答えた。
「俺はどっちもいける口でな」
健の顔が、みるみる赤くなった。
「てめぇ……!」
「いいだろ別に。減るもんじゃねぇし」
「減るわ!っていうか離れろ!」
「まあまあ落ち着けよ犬っころ」
「誰が犬だ!」
「吠えてんじゃん」
「吠えてねぇ!」

猿吉が団子を咥えたまま呟いた。
「……吠えてますね」
「うるせぇ!」

傾奇者は肩をすくめた。
「つれねぇな。せっかく声かけてやったのによ」
「誰も頼んでねぇ」

「そう言うなって。なぁ、桃の旦那。一晩でいいからよ」
「断る」

桃太郎が立ち上がった。
「私たちは急いでいる」
「冷てぇな。どこ行くんだよ」
「関係ない」

桃太郎が歩き出す。傾奇者がその腕を掴んだ。
「まぁ待てって――」

次の瞬間。
傾奇者の身体が宙を舞った。

どすん、と派手な音。
背中から地面に叩きつけられ、目を白黒させている。

「……うそだろ」
雷蔵が呆然と呟いた。

桃太郎は何事もなかったかのように着物の袖を払った。
「行こう」

「お、おう……」
一行は茶屋を後にした。
地面に転がったままの傾奇者を残して。
小説TOPに戻る